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存在の抽象化から思考の抽象化へ

 以前掲載したコラム「新たな哲学史の必要性」で、旧来とは異なるが、なおマルクス主義に立脚した哲学史理解が必要とされているのではと示唆した。

 それは複雑極まりない現代社会が、その根底のところではやはり資本主義であり続けていて、資本主義ならではの矛盾の噴出が現代社会における混迷の主要原因の一つに数える他はないという事実に根拠付けられる。

 例えば環境問題である。

 環境問題の原因は数多あり単純化できないが、自然を無限に利用可能な富の源泉として永久に開発し続ける経済政策と、そうした開発のあり方を当然視する社会的エートスと個々人のメンタリティの組み合わせが首尾よく環境を破壊する条件なのは疑い得ない。そしてこうした組み合わせは勿論、資本主義という経済体制と、そうした経済の中に生きる多数の常識でもある。

 今日では流石に、資本主義という前提自体を疑う声が無視できない大きさになるほど環境問題の深刻さが増してはいるが、資本主義そのものを変革すべきだという声は常識に程遠く、あくまで資本主義の枠内での漸次的改良という基本戦略は崩れていない。現行のように徒に利便性を追求するライフスタイルは持続可能ではないが、しかし既存のライフスタイルの変更は視野に入らず、変わらず維持されるのは当然の前提となっている。それはまさに、そうしたライフスタイルこそが資本主義に適合的だからである。

 資本主義とはその成立当初から、環境問題それ自体を「外部」化して視野に収めない経済体制だった。この体制が問うまでもない大前提としていたのは、自然はいつまでも開発可能で,開発に伴う汚染も自然の浄化作用で自ずと解決されるという社会常識である。それはこの体制が確立し発展していた時代に旧通する常識でもあった。それだから、資本主義がそうした当時の常識に即したシステムとして確立し、発展することができたのである。資本主義とは無目的に利潤を追求し、終わることのない成長を当然視する経済体制である。今日のように地球環境全体の脆弱性が強く意識されていたら、資本主義は成立し得ないのである。

 ということはまさに環境問題こそが資本主義の絶対的な古さ、それが現在の一方の常識とは適合し得ないシステムであることを示している。その常識とは地球環境は有限であり、永遠の経済成長は不可能なのだから、人々は恣に利便性を追求すべきではなく、自然を無限な富の源泉と見なして搾取するが如き態度は辞めなければならないという考え方である。

 他方でこの常識はもう一方のよりずっと強力な常識によって広がり難くなっている。確かに環境問題は深刻であり、そこに資本主義的な利潤追求の悪弊があることは認めるが、しかし社会主義は旧ソ連や東欧といった現実(に存在した)社会主義の崩壊により、その間違いが実証された。従って最早選択肢は存在せず、全ては資本主義の枠内での改善のみが可能だという通念である。

 そしてこうした資本主義しかないという思い込みは、それだから資本主義のままでも何とかなるという期待に転換される。確かに資本主義は幾多の危機を乗り越えて存続し続けているので、資本主義でも大丈夫だという期待は無根拠ではなく、それなりに合理性がある。しかしこれまで大丈夫だったことはこれからも大丈夫なことの理由にはならない。予め最善の状態にして危機の備えるのが望ましい。資本主義でも大丈夫かも知れないが、資本主義ならではの野放図な利潤追求が環境破壊をもたらしているのは間違いないのだから、予め利潤を原理にしない形に社会をアップデートしておくのが、環境危機の時代にはふさわしい。しかし、資本主義しか可能ではないという思い込みが蔓延しているため、社会主義的変革という、実は合理的な提言は、無理筋な少数意見の位置に留められる。

 確かに崩壊した現実社会主義が実際に社会主義であったのならば、資本主義しかないというのは単なる思い込みではなく、至極もっともな判断である。しかし崩壊した現実社会主義は実は社会主義ではなく、むしろ資本主義によく似た人間抑圧社会に過ぎない(詳しくは拙著『これからの社会主義入門:環境の世紀における批判的マルクス主義』あけび書房、2023年、参照)。それだから、現実社会主義の崩壊は社会主義が不可能なことを示す実例ではない。

 それでもやはり資本主義が支持され続けるのは、資本主義自体が強力に自己弁護のためのイデオロギーを再生産し続けると共に、資本主義が推薦する無原則な大量消費型生活様式への抗い難い魅力が、個々人に強く内面化されているからである。

 資本主義では売れるか売れないかが重要で、さして売れなくてもそれ自体が望ましい商品は一部好事家向けにマイナー化されざるを得ない。環境負荷からすれば動物成分を含む食事よりもビーガンが選択されるべきだが、肉食への選好が広く確立されている現状にあっては、ビーガニズムはどうしても少数派に留まる。持続可能性を重視するのならば、食品産業は動物性食品の生産を漸次減らし、ビーガニズム製品の比率を高めるようにするべきだが、消費者の選好は相変わらず肉食中心なので、大量の需要を賄うために大量の動物が飼育され、増え過ぎた畜産動物により環境は破壊され続けるのである。勿論こうした因果関係は畜産だけの話ではなく、全産業分野で環境保全のような社会的価値よりも利潤が重視される。

 しかしこのことは、仮に環境に優しい消費材が食肉のような環境破壊商品よりも選好されるようになれば、それがただ売れるという理由だけで資本主義でも大きな改善がもたらされる可能性も大ということである。その意味では、資本主義の枠内でもやれることは多々あるという話にもなる。

 こうしたことは哲学という学問にあっても当てはまるというのが私の考えであり、私が依拠するマルクス主義の視座でもある。

 哲学は物事の究極的な本質を問う学問で、今ここで問題にしたような資本主義的な消費生活のような形而下的要素とは縁遠い分野だと思われがちだろう。哲学が問うのは社会のあり方や時事といったこととは独立した、超時間的で深遠な究極の真理の如きものだというような見方が大きく広がっている。実際にプラトンを代表に古典的な巨匠の多くが、哲学の神髄を無時間的で超越的な、つまりは形而上学的な領域に沈潜する「深い思索」に見出してきた。現代を代表する哲学者の一人と見なされるハイデガーもプラトン以降の形而上学の歴史を批判したが、その求めるところは「存在の声」のような時事問題とは隔絶した深遠な何物かだった。

 しかしこうした現実の社会生活と無縁に思われるような思索も、当の哲学者が生きる具体的な歴史状況に深く影響されているのが常である。

 プラトンと言えば主著『国家』での洞窟の比喩が有名である。哲学的な思索とは縁がなく、それがためにイデアという世界の真理を知らない一般大衆は、あたかも洞窟に閉じ込められた囚人が壁に照らされた影絵を真実だと思い込まされているが如きだという比喩である。

 一見して高尚で、時事性には程遠い話のようだが、ここで真理を知らない大衆を洞窟の囚人に例えているのは偶然とは言い難い。プラトンが生きていた古代ギリシア世界は奴隷制社会である。プラトンも含めて当時の哲学者は基本的に奴隷ではなく自由人であり、その生活は奴隷労働によって支えられていた。そして奴隷の中には鉱山で働く者もいて、奴隷による金や銅の採掘が、プラトンも住んでいたアテナイが繁栄できた一因となっていた。当然そうした鉱山奴隷の存在は、プラトンの知るところでもあっただろう。まさにプラトンが描く洞窟の囚人は、実際に鉱山で働く奴隷を彷彿とさせる。明言されていないので実際にプラトンが鉱山奴隷を意図的にモデルにしたかは定かではない。しかしたとえ意図せざることであっても、無知な大衆を洞窟の囚人になぞらえるという発想自体が奴隷制社会で特権階級として生きたプラトン自身の日常生活に根差していたのではというのは、ごく自然な類推だろう。

 こうしたことはプラトンに限ったことではなく、哲学的な思索一般が哲学者自身の日常生活の状況に基本的に規定されざるを得ないことの一例に過ぎない。一見して日常的な具体性と隔絶したかに見える哲学上の抽象的な議論に、実はその議論がなされていた当時の具体的な社会のあり方が強く刻印されているというのは、例外というよりもむしろ一般的な傾向である。

 このことはまさに、生活が意識を規定するという『ドイツ・イデオロギー』以来のマルクス主義の基本観点が教えるところでもある。哲学もまた、人々の日常生活に規定された思索が必然的に哲学と呼ばれるような形になった時に生まれたのである。

 哲学はそれ以前の神話とは異なり、抽象的な原理でもって世界のあり方を説明しようとする。アリストテレスが最初の哲学者としたのは、世界の「アルケー」(始原)を水だとしたタレスである。そしてタレスの弟子とされるアナクシマンドロスは文字通り初めてアルケーという言葉を用いて、世界の始原をト・アペイロン(無限なるもの)という、全く以て抽象的な概念で説明しようとした。これはつまり、タレスやアナクシマンドロスにはそれ以前の人々ができなかった抽象的な思考ができる社会的条件があったからだというのが、マルクス主義的な観点からする哲学史理解になる。そして実際にそうした社会条件は実在したのである。

 タレスやアナクシマンドロスは、アナクシマンドロスの弟子とされるアナクシメネスを含めていわゆる「ミレトス学派」と言われる。この呼称は彼らが現在のトルコに当たるアナトリア半島の沿岸に位置していたポリス(都市国家)であるミレトスの人々だったことに由来する。そして当時のミレトスはギリシア世界でも一早く貨幣経済が発展した場所だった。

 世界最初の鋳造貨幣はリュディアのエレクトロン貨で、紀元前7世紀の発明になる。鋳造貨幣は直ちにミレトスにも伝来し、ミレトスではリュディアによる物よりも一層洗練された貨幣が鋳造され、広く流通したと言われる。

 鋳造貨幣の普及により、貨幣による商品交換が日常生活の基本線となった。当然ここに計算の風習が根付くことになる。貨幣によって明確に数値化されることによって、大雑把な交換ではなく厳密な等価交換が義務付けられることにもなる。これは等しい物には正確にその対価を与えるべきで、手前勝手に増やしたり減らしたりするするのは不正だという商取引のルールを確立させる。そしてこうした等価交換原理の一般化は、善き行いにはふさわしい報酬を、悪き行いそれに見合った罰を与えるべきだという正義感覚を醸成する土台となった。こうした日常生活の交換実践は、倫理学が生まれる素地を形成する。

 こうして鋳造貨幣の発明による商品経済の発展は、人々の日常生活に否応なしに計算という抽象的思考を要請し、習慣化させる。抽象的思考が習慣化した人々の中からやがて、かつては神話的な具象的思考の次元で考えていた世界の起源や成り立ちについて、抽象的な一般原理を用いて説明する者が現れてきた。それが最初の哲学者たちであるミレトス学派の人々であった。つまり、哲学はその出自からして、一見して深遠な形而上学的思索とは無縁に思える日常的な生活実践によって育まれたものだったのである。

 抽象的思考から哲学が生まれたが、哲学を生んだ抽象的思考は哲学者の日常生活が貨幣経済という抽象的原理に支配されるようになったからである。日常生活での存在のあり方が、人間の意識を規定するのである。まさに社会的存在が社会的意識を規定するというマルクスの定式通りの事態が、哲学の歴史において生起した。それは哲学もまたマルクスの言うように、経済的土台に対する上部構造としての社会意識という意味でのイデオロギーの一領域に他ならないからだ。貨幣経済によって人間の社会的な存在が抽象化されたから、思考も抽象化されたのである。

 しかし哲学を育んだ貨幣経済それ自体は、人間にとって永続的な経済秩序とするのにふさわしくないシステムである。なぜなら貨幣経済が全面的に発達した社会こそが資本主義であり、資本主義とは労働力の商品化に基づく賃金奴隷制社会にして、疎外された労働生産物の怪物的転化である資本によって労働者が支配される社会だからである。資本主義において労働者である大衆は自らが意図せず創り出した資本とその人格化である少数の資本家に支配される。商品貨幣経済はこうした人間にとって望ましくない資本主義的な生産様式によく適合する。それだから資本主義とはまた最も発展した商品貨幣経済でもあるわけだ。

 こうした疎外された商品貨幣経済社会である資本主義を的確に批判する理論的武器を与えたのがマルクスである。

マルクス以前の哲学者には大抵、その思考に商品貨幣経済ならではの要素が刻印されていた。そこで、マルクスに至るまでの哲学の歴史を、ミレトス学派への分析で示したような経済的土台のあり方からの影響関係という観点から振り返ることができないかと考えるわけだ。

 旧ソ連東欧や中国などの現実社会主義諸国に見られた旧来の哲学史には、唯物論か観念論か、弁証法的か機械論的かといった幾つかの基準で無造作に進歩的か反動的かを振り分けるような、一面的なレッテル貼りの傾向が見られた。そのためその説明は表面的で精彩を欠いていた。

 そうしたこともあって、こうした旧来型のマルクス主義による哲学入門や哲学史の概説は、現実社会主義の崩壊と共に急速に忘れ去られた。しかしこのことは、マルクス主義に依拠する哲学入門や哲学史の解説が不要になったことを意味しない。なぜなら環境問題に集約されるように、資本主義の矛盾は深まる一方だからである。労働力の商品化と利潤追求に依拠しない非市場的な経済社会の実現は、困難ではあるが、持続可能性実現の必須条件である。この意味で、貨幣を批判して市場に囚われない人間と社会を模索するマルクス主義に拠る哲学の展開とそのエッセンスの紹介は、大きな社会的意義がある企画だと思われる。

 こうした意図に基づいて、実際に「反資本主義哲学入門」の執筆に進む予定だが、このコラムでもその途中経過を伝えられればと思う。

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