コラム
プロ講師のコラム The Owl at Dawn
『経済学・哲学草稿』を読む 第1回 なぜ『経済学・哲学草稿』を取上げるのか
20回の長きに渡って倫理学入門のコラムを連載したように、20代の頃から既に四半世紀もの間、大学で倫理学を教え続けている。一般向けの倫理学入門書としては丁度10年前の2010年に、日本実業出版社から『本当にわかる倫理学』を出版した。幸いにもこの本は今に至るも版を重ね、近く中国語版も刊行されるとのことである。
このように、大学での講義と連動させる形で、執筆及び出版活動を通して私なりの倫理学教育のあり方を模索しているが、倫理学の研究分野としては環境倫理学や動物倫理学を専門としていて、既に二冊の単著を出版し、加えて現在一般向けの動物倫理学入門書を執筆中である。
こうした経緯もあってか、最近では応用倫理学、特に動物倫理の研究者として比較的認知されている感があるが、これらは元々ではなく、大学で講義を担当することになって始めた後発の研究テーマになる。研究を始めた当初から取り組んでいた課題は、カール・マルクスの思想を哲学の立場から解明するというものである。実際私が、学部の卒業論文、大学院の修士論文、そして博士論文の全てで取上げたのは、他ならぬマルクスだったのである。そして実際、ここ数年は上述の倫理学入門と応用倫理に増して、マルクスを主題にした著書を出してきた。
このため、私のマルクス観は博士論文をはじめとする4冊の単著に余すところなく示されている。特に最新刊である『マルクス哲学入門』(社会評論社、2018年)は、マルクスの哲学の真髄を一冊の本にして伝えるという初心を実現しようとした著作であり、これを出せたことは、研究者としての自ら役割を終わらすことができたという、深い満足感があった。
とはいえ、別にこれで研究を引退するわけでもなく、生ある限り研究人生は続くのだが、この本に寄せられた幾つかの反応から、今後の課題の一端が見えてきた。
『マルクス哲学入門』は、書いた私自身は全くの初心者向けのつもりだったのだが、読後の感想としては必ずしもそうは受け止められなかった。確かに非常に読み易く明瞭だという嬉しい感想も少なくなかったが、難しくてとても初心者向けとは思えないという読後感もまた、少ないとは言えなかった。
その難しさの理由として挙げられた一つに、マルクスからの直接引用が少ないというのがあったのは意外であった。というのも、まさにそうした直接引用こそが入門書としての難しさのゆえんだと考えて、この本では敢えて直接引用を減らしたからである。
当然問題は単純なあれかこれかではなく、私の目論見通りに、引用が少ないがゆえに分り易く感じた読者もいるだろう。だが、私が予想していなかった、引用が少ないからこそ分り難いという読者が少なくなかったことには、大いに考えさせられた。
確かにマルクスの文章は平易というには程遠く、取り分け初期の諸著作は長年繰り返し読み続けている私のような者でも、容易に意味が汲み取れないような箇所も少なくない。それだからこそこういう文章を多く引用することを避けたのだが、入門的な読者の中には、難しくてもマルクスの原典からの重要箇所の引用を直接読みたい、マルクスのテキストに挑戦したいという人々もいるのだということを知ったのである。
そこで改めて思い出したことがあった。マルクスの入門書は数多いが、推薦できるものは少ない。それだからこそ自ら書くことにもなったのだが、そうした数少ない良書の一つがエルンスト・フィッシャーによる『マルクス入門』(合同出版、1972年)である。この本は原題がWas Marx wirklich sagteであり、これは「マルクスが本当に語ったこと」という意味になる。この本は私の『マルクス哲学入門』とは対照的に、極力マルクス自身の文章を直接引用することでマルクスの真意を明らかにしようとした入門書である。この本が成功している最大の理由は、著者がマルクスの全理論を貫く中心的な規範を「全体的人間の夢」として適切につかんでいたことにある。そしてこうした正しい方向での理論の把握に基づき、できるだけ多くマルクスの文章を直接引用し、マルクスのことを他ならぬマルクス自身に語らせようとしたことが大きい。
逐一解説されていないために、マルクスの語る理論の細部にわたる理解は困難だが、読者はとにもかくにも、マルクスの生の声を聞き、難しさはそれとして、マルクスがどのようなことを言った人なのか、イメージをつかむことができるようになっている。こういう入門のあり方もまた効果的なのだということを、改めて知ったのである。
こうした経緯から、確かに私自身は『マルクス哲学入門』でもって主張したいことの基本は言えて、自分なりのマルクス入門の形を示し得たという思いがあるが、これで執筆を終わりにするというわけには到底いかないという気持ちを新たにしたのである。これからも何度でも形を変えて、マルクスへの入門的な著作を書き続けねばならないという使命を感じたわけである。
そこで今回は、新たなマルクス入門のあり方として、『経済学・哲学草稿』に的を絞り、これの読解入門を行なうことにしたのである。
ではなぜ数あるマルクスの著作の中から、特に『経済学・哲学草稿』なのか。言うまでもなくマルクスの主著は『資本論』であり、これまで出されたマルクスの特定の著書に的を絞った解説書の殆どは『資本論』についてのものだった。このこと自体は無理もないことであり、特に批判すべきことではない。しかし、既に膨大な数に達している「『資本論』入門」に屋上屋を架すよりも、同じように重要でしかも難解な『経済学・哲学草稿』の入門書が殆どなかった(メインタイトルではっきりと『経済学・哲学草稿』入門を謳った邦語文献は恐らく、細谷昴・畑孝一・中川弘・湯田勝『マルクス「経済学・哲学草稿」』有斐閣新書、1980年、だけだろうと思う。しかしこの入門書には根本的な理論的欠陥がある。その欠陥については岩淵慶一『神話と真実──マルクスの疎外論をめぐって──』時潮社、1998年、249-281頁、を参照)という問題がある。
勿論、敢えて『経済学・哲学草稿』を大きく取上げるには、既発表文献が少ないというような外在的理由だけではなく、もっと重要な、理論内在的な理由がある。それはまさに『経済学・哲学草稿』もまた、『資本論』と並ぶマルクスの主要な理論的業績なのだという価値判断である。私はかつて博士論文で、「『経済学・哲学草稿』は、マルクスの全著作の中でも、格別の著作である。それは『共産党宣言』や『資本論』と並ぶマルクスの主著である」(『初期マルクスの疎外論──疎外論超克説批判──』時潮社、2000年、1頁)と記した。さりげない一文だが、この判断は、マルクス研究上の常識には程遠い、かなり踏み込んだ解釈である。
マルクスの著作を一冊だけ挙げるのはたやすいし、間違えることはない。しかし後の二冊を選ぶのは事情が異なる。歴史的な影響を考えれば、やはり『共産党宣言』は外せない。しかし残り一冊に何を選ぶかは、俄かには決め難い難問である。一般的にはむしろ、『経済学・哲学草稿』ではなく『ドイツ・イデオロギー』が選ばれるのではないかと思う。というのは、『ドイツ・イデオロギー』はマルクス主義の歴史観である唯物主観または史的唯物論が初めて提示された画期的な著作だからである。
勿論『ドイツ・イデオロギー』は重要な著作であり、これなくしてはマルクスの思想を理解することはできない。その前提の上で、敢えて『ドイツ・イデオロギー』ではなく『経済学・哲学草稿』なのである。これはなぜかといえば、これまで多くのマルクス研究者が解釈してきたように、唯物史観は理論内容のみならずその問題設定それ自体も初めて『ドイツ・イデオロギー』で現れるのではないからである。もしそうならば『ドイツ・イデオロギー』はマルクスの思想発展にとって画期的な著作であり、これを『資本論』と並ぶ主著の一つとして数えないわけには行かないだろう。
確かに唯物史観の理論内容が最初に『ドイツ・イデオロギー』で具体化されたのは間違いない。しかし唯物史観の問題設定それ自体はそうではない。唯物史観の問題設定とは実は、『経済学・哲学草稿』で提起はされたものの、『経済学・哲学草稿』では未だマルクスがその答えを見出すことができなかった「疎外された労働の歴史的起源」の問題だからである。その詳細は私の博士論文に詳しいが、そのエッセンスを『マルクス哲学入門』に記し、次のように結論した。つまり唯物史観とは、
旧来考えられてきたように、そして今もなお誤解されているように、それ以前の疎外論的思考を清算して作られた新たな歴史観ではない。そうではなくてむしろ反対に、疎外論の前提の上に、疎外の歴史的起源への問いから導き出された、疎外された社会的諸力の歴史的変遷を説明するために考え出された歴史観である。その意味で、唯物史観は疎外論の超克どころではなく、むしろ疎外論の主要な一契機とさえいえるのである(『マルクス哲学入門』、76頁)。
だとすると、まさに『経済学・哲学草稿』こそが取り分けて重要な著作ということにならざるを得ない。なぜならこの著作の中でこそマルクスは疎外論を全面的に展開したからである。そしてなぜ疎外論を全面的に展開した著作がマルクスの主要な著作に数えられる必要があるのかといえば、疎外論こそが唯物史観をその契機として含むようなマルクスの全体的な理論構想であり、マルクスの哲学そのものだからである。だからこそ『マルクス哲学入門』というタイトルの著書で、疎外論であるマルクスの哲学を概観したのである。
このような理由で、数あるマルクスの著作の中から『経済学・哲学草稿』を取上げて、この著作の主要な文章を逐一引用提示して、これを丁寧に解説しながら、マルクスの哲学への入門とするというのが、この連載の目的である。ただし、ここで行なうのはあくまで入門的な解説であって、詳細なテキストコンメンタールではない。というのも、厳密に学術的な流儀でテキスト解釈を行なおうとすると、およそ初学者が読むにはふさわしくない、過度に細かい論争的な議論こそを重視しなければいけなくなるからである。またそうした文章はどうしても、読者に予め多くの予備知識を要求する。なぜならそういう文章は基本的に専門研究者を読者に想定しているからであり、多くの情報を既知のものとして前提して書かれるからである。しかしそうした前提がないのが初学者なのであり、入門書は初学者のために書かれるのである。
そこで、こうした研究書としての『経済学・哲学草稿』の詳細で厳密な学術的なコンメンタールは今後の課題として、ここではそうした本格的コンメンタール執筆のための準備作業ともなるような形で、あくまで『経済学・哲学草稿』を未だ読んだことがなかったり、読んでは見たが難しかったというような初学者を主要な読者に想定して、一つの読書案内となるような解説を行なうことを目指したい。