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楽しく学ぶ倫理学 第10回 プラトンからアリストテレスへ(西洋古代倫理学小史その六)

絶対的な価値の探求

 

ソクラテスとプラトン

哲学史では一般に「ソクラテス以前以後」という言う方をするくらい、ソクラテスが特別に重要な哲学者だと考えられているが、ソクラテスはユニークな人格の多い古代ギリシアの哲学者の中でも、一際ユニークな人物だった。

ソクラテス以前の哲学者の著作は、その殆どが断片的な言葉が伝わるのみだが、これは彼らが寡作だったからではなく、歴史の経過の中で散逸してしまったからである。実際は多くの哲学者が大量の著作を為したが、残念ながら残らなかったのである。その中でソクラテスは、全く例外的に、一切著作をしなかったといわれる。これは書かれたものは死んだ言葉であり、生きた哲学は友との語らいの中でのみあると考えていたからだとされる。語らいの中で、当初ははっきりしなかった事柄が明確になる。それは教わる側のみならず、教える側も同様である。対話の中で認識が深まり、真理へと近づいていく。これが名高いソクラテスの問答であり、弁証法である。勿論この弁証法は、後にヘーゲルが特別な意味を持たせ発展させる方法論である。ソクラテスでは主観の認識過程だが、ヘーゲルでは客観的実在の発展形式とされる。

とまれ、こうしたソクラテスの弁証法的な対話の現場を伝えているのが、プラトンの対話篇である。プラトンは著作の殆どを対話篇の形式で書いた。そして対話の主人公は大部分ソクラテスだった。

ソクラテスはまた、当時の人の中で、生没年がはっきりしている数少ない一人でもある。それは彼が死刑になったからであり、正式な裁判記録に当時70歳だと記されているからである。

ソクラテスは史上最も偉大な哲学者だとされているのに、死刑に処された人であった。死刑というのは通常極悪人に対して行われる刑である。無論ソクラテスは普通の犯罪者ではない。思想犯として処刑されたのである。とはいえ、ナチスが反対者を次々と処刑したように、善意の反対者が独裁権力によって弾圧されたとはいえない。当時のアテナイは直接民主主義の社会であり、裁判も多くの市民が直接に裁判官となって行われていたのである。そしてソクラテスは体制批判者ではなく、むしろ愛国者を自認していた。つまりソクラテスは、自らの支持するアテナイの民主主義的な裁判システムに従って、有罪判決を受けたのである。確かにソクラテスの裁判での振る舞いは奇矯であった。通常は情状酌量を求めるところで尊大な態度を取り、裁判官である市民の心証を悪くしてしまったのだから。また、いつでも逃亡できる手はずが整えられていたにもかかわらず、あえて判決を受け入れて毒人参を仰いだのは、自殺志願者の振る舞いのようでもある。つまり死なずに済んだところを、態々進んで死を受け入れたとしか思えないのである。

このソクラテスの死が何を意味するのかは今日に至るも哲学史上の難問になっているが、当事者である弟子たちからすれば、偉大なる師が処刑されたという事実には変わりない。その弟子の中にプラトンがいたのである。

プラトンはソクラテスが処刑された当時、28歳だった。彼は師より長く80歳まで生きるが、ソクラテス亡き後の人生は、哲学者として、ソクラテスの言行の真意を突き止めることに費やされた。

通常プラトンの著作は、前・中・後期の三期に分けられる。比較的忠実にソクラテスの実像を伝えているとされる前期、プラトン自身の思想と思われるイデア論を展開している中期、イデア論を吟味、または放棄している可能性もある後期である。前期を代表する著作が『ソクラテスの弁明』や『クリトン』。中期の代表作がプラトンの主著である『国家』。後期にはプラトン最長の著作である『法律』がある。ここでは、プラトンが何を意図してイデア論を唱えたかだけ、明確にしておきたい。

 

善の絶対性

イデアとは概念のことである。哲学で概念という場合、通常の日本語で使われるような「概略的な意味」ではなく、対象の本質を把握する思考形式のことを意味する。プラトンのイデア論は、こうした概念であるイデアが、人間の頭の中にある思考形式ではなく、対象自身に内在する、客観的実在だとする思想である。

例えば我々は様々な図形を見て、それが皆三角形だったら、それを等しく三角形だと認識できる。この場合我々は、これらの図形に共通する三角形という概念を、具体的な図像の中に見出しているのである。普通我々はこの場合、三角形という概念は我々の内に知識としてあると考えている。つまり脳内に三角形の記憶があるために、目の前の図像を三角形だと認識できると考える。

ところがプラトンはそうは考えない。これらの図像が皆三角形なのは、三角形という概念そのもの、三角形のイデアが、これらの図形に内在しているからだという。つまり概念であるイデアは認識する主観ではなく、認識される対象の方にあることになる。三角形性という客観的実在があるというのだ。これは三角形というものに関する我々の常識とは異なる考え方だろう。

ではなぜプラトンはこのように、イデアを客観的実在としたのであろうか。それは三角形のような事実にのみならず、美や善といった価値もまたイデアであることにかかわる。プラトンによれば、ある物が美しいのはそれを見る人がそう思うからではなく、それ自体で美しいからである。同じようにある行為が善なのは、それが善い行いのように思われるからではなく、ある人が有徳なのは、人々がその人を有徳だと認めるからではない。ある行為が善行なのは、その行為に善のイデアが内在しているからであり、有徳な人は賞賛の多さがために有徳なのではなく、善のイデアを多く体得しているからである。

分かるだろうか。これがソクラテスに対するプラトンの回答だったのである。プラトンにとってソクラテスはこの世で最も善い人である。そのソクラテスが、自らの愛するアテナイに裁かれ、死刑になってしまったのである。もし善悪というものが個々人の主観に属するものならば、ソクラテスの善というのはどうなってしまうのか。どうして最も善い人が裁かれなければならなかったのか。そして、善悪というのが、人々が決めるものならば、人々によって悪とされたソクラテスが、どうして最も優れた人といえようか。これこそプラトンがイデア論に託した、根本的な疑問だったのではないか。

プラトンが打出した答えはだから、善は主観的なものではなく、客観的な実在であるということだった。ソクラテスが有徳であることは、人々の評価とは独立している。ソクラテスはこの世で最も多く、善のイデアをその身に体得した人である。だから彼はこの世で最も善い人なのだ。ソクラテスが処刑されたことは、彼が最高の有徳者であるという真実を傷付けない。人々はただ知らなかっただけなのだ。善悪は主観的な評価ではなく、客観的な事実である。そして事実ソクラテスは善人だったのである。

このように考えることができるとすると、プラトンのイデア論というのは、倫理学の中心問題である善に対して、一つの確固とした見識を示したことになる。善というのは個々人の価値判断に基づくものではなくて、主観から独立した客観的な事実である。従って善は個々人が価値判断することではなくて、個々人によって発見され、その真実が認識されるべき事実である。従って一度正確に認識されたならば、その善は絶対正しいものと考えることができる。

これは善という価値に関する客観主義的な考え方で、今日の倫理学でも、必要な洗練を加えられた上で、有力な理論的立場となっている。こうしてプラトンのイデア論は、価値の本質に関する客観主義的な考え方の古典的な源泉として、常に振り返られるべき重要な思想である。

 

エトスとエートス

対象に内在するイデア

プラトンはアテナイの郊外にアカデメイアという学園を開いて、弟子を育成した。今日の「アカデミー」の語源である。プラトンの最も有名で偉大な弟子が、アリストテレスである。

アリストテレスはプラトンが亡くなる37歳の時まで、20年もの間、アカデメイアの学生だった。そのため、その思想はプラトンの影響を強く受けている。実際、アリストテレスの出発点は、後期プラトンの立場であるイデア論の批判的吟味である。

倫理学で問題になる善のイデアとは、善それ自体であった。ある行為やある人格は、それにイデアが内在しているがために善なのである。従って我々は常に、善い行為や善い人を見るのみで、善そのものは見ることはできない。イデアそれ自体は時空を超越している。超越的なイデアが事物に内在していると説くのである。

アリストテレスはこのプラトンの考えに、半ば同意し、半ば反対する。アリストテレスにとっても対象の本質はあくまでその対象のイデアである。しかしアリストテレスは、イデアが対象から離れて、それ自体で存在する超越だという考えは否定した。アリストテレスにとって対象のイデアとは、その対象を形作る本質のことをいう。対象はイデアまたはエイドスとヒュレーが結びついて存在する。ヒュレーとは素材である。つまり事物はヒュレーを素材として、エイドスによって構成されるものだと考えるのである。

この場合でも、エイドスそれ自体は不可視である。エイドスとは事物からヒュレーを取り除いても存在する、形そのものだからである。しかそのような形そのものを、我々は見ることはできない。試しに時計を考えてみれば、時計のイデア(エイドス)とは時計の素材(ヒュレー)を取り除いた後に残る、時計の形そのものである。しかしそのような形は、現実には存在し得ない。ではなぜエイドスを考える必要があるのかといえば、ヒュレーそれ自体は特定の何かの形を成すエイドスと結び付かない限り、いつまでも不定形の塊に過ぎないからだ。だからエイドスこそがむしろ対象の本質である。事物は現実に「何か」になることによって自己を実現するからであり、素材を何かに形成できるのはエイドスだからである。

アリストテレスは善もまた同様に考える。善もまた、それを実現する個々の人間と切り離せない。善を行う個々の人間も善行それ自体もケースにより様々であって、抽象的な善一般というのは有り得ない。あるのは唯一的な善のイデアではなく、対象の性質に応じた、様々な善のあり方である。このようなアリストテレスの考えは、具体的な事例を通して倫理的な問題を考えるという、我々がここで採用しようとする倫理学の立場の源泉であるといえる。そしてこうしたアリストテレスの善に対するアプローチは、現代の応用倫理学に通じる、適切な思考法といえよう。

 

認識と習慣

ではアリストテレスは、どうすれば人は善行を成し、倫理的な人間になれると説いたのか。この点で興味深いのは彼のソクラテス批判である。

アリストテレスによるとソクラテスは、徳とは知識であると考えていたという。善とは何かを知れば人は自ずと善を行い、有徳の人になるとソクラテスは考えていたというのだ。だからソクラテスによると、悪の原因は無知である。悪人は、自らの行いの意味を知らないから悪を為すと、ソクラテスは考えていたという。

しかしこれは余りにお人好しな考えではないのか。いわゆる常習犯というのはどうなのだろうか。スリの常習犯に、お前は自分がやっていることは悪いことだろうと糾しても、スリは自分が悪いことをやっていたとは知らなかったなどとは言わないだろう。むしろスリは自分のやっていることが悪いことだとはっきり認識していながら、しかも悪いことをやっているのである。

ここでアリストテレスが問題にしているのはアクラシア、つまり抑制のなさの問題である。ソクラテスはあくまで無知が原因であり、アクラシアはあり得ないとしたが、我々の日常経験の多くは、アクラシアの実在を証明している。そこでアリストテレスは、人間は自らの欲望に引きずられて、知恵を直ちに実践に移行させることができない存在だと考える。そこで重要になるのは、習慣である。

つまり、習うより慣れろである。どうすれば善行を行えるかという問いに対してアリストテレスは、実際に善人になる他はないと答えた。善人とは最大限善を為すことができる性格を備えた人であり、善い人柄である。性格は繰り返しによって形成される。だから善い性格になるには、善行を繰り返すことである。つまり善行を習慣化することが、善い人間になる秘訣ということだ。これをアリストテレスは、エートス(性格)はエトス(習慣)によって形成されるとしている。そしてアリストテレスのいうエトスこそがエシックス(倫理学)の語源である。だから倫理学とは、善いエトスによって善いエートスを形成するための学問ということになる。

これが倫理学の元々の意味である。そして、このアリストテレスによる倫理学の定義は現代でも、倫理学に対する適切な定義だといえるだろう。

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