コラム
プロ講師のコラム The Owl at Dawn
社会主義入門 第五回 マルクスの社会主義思想(その2)
マルクスが最も詳しく社会主義論を展開した『パリ草稿』だが、社会主義論は主として『経済学・哲学草稿』の「第三草稿」と「ミル・ノート」で展開される。『経済学・哲学草稿』は主に三つの草稿群からなるが、「第二草稿」は短い断章以外は散逸してしまったので、「第一草稿」と「第三草稿」が中心的な内容となる。社会主義論を対象とする本書では、専ら第三草稿の叙述が問題となるが、それらの社会主義論を理解するためには、前提として第一草稿の「疎外された労働」の議論を踏まえないといけない。というのは、第三草稿の社会主義論は、資本主義的な疎外された労働の反対物である「疎外されない労働」を語る文脈で展開されるからである。疎外されない労働が実現する社会こそが社会主義なのだから、これを理解するためには疎外された労働の議論を理解する必要がある。
『経済学・哲学草稿』はヘーゲルの影響を強く受けた哲学的な思考展開や言い回しが、マルクスの後の公刊された著作のように抑制的ではなく率直に多用されている。そのため、これをいきなり読んで内容を理解するのは容易いことではないはずである。しかし疎外された労働についてのマルクスの議論、つまりマルクスの疎外論については本書のこれまでの議論でもある程度は触れていて、既にその概要について読者は承知していると思う。だからここまで読まれた読者には『経済学・哲学草稿』の内容はすんなりと頭に入ってくるのではないか。
マルクスは『経済学・哲学草稿』以前から疎外論に基づいて理論展開を行っていた。その方法は、先ず前提として疎外されない状態を理念として掲げ、疎外された現実に対して理念を基準に批判するというものである。この場合、様々な領域において起きている疎外の中で、何が中心的であるかを確定することが重要な課題になる。
ヘーゲルは絶対精神の疎外という構図によって人間社会の展開を説明していた。そしてフォイエルバッハは、ヘーゲルの絶対精神の具体的表現である神は人間が自身の本質を疎外することによって生み出した人間の自己喪失であることを喝破した。そうしてヘーゲルの疎外論を唯物論的に転倒させたわけである。マルクスはこの両者の議論を前提に自己自身の疎外論を確立するが、この際に重要なのは、ヘーゲルもフォイエルバッハも主眼となる疎外は精神の領域における疎外であり、特にフォイエルバッハの場合は宗教における疎外こそが中心であって、全ての問題は結局のところ宗教に帰結するとしたことである。こうした宗教重視は、ヘーゲル及びヘーゲルの批判的継承者だったヘーゲル左派に共通する理論的な大前提だった。
そのため、ブルーノ・バウアーの『ユダヤ人問題』を論評した「ユダヤ人問題に寄せて」でのマルクスの主眼は、バウアーがヘーゲルの絶対精神に代えて中心原理とした「自己意識」が、文字通り精神的な原理であることへの批判に向けられることになった。精神的原理を中心とするバウアーにとって、ユダヤ人問題の核心は当然ユダヤ教という宗教それ自体になる。そのためバウアーはユダヤ人が棄教することこそが、問題解決の主要方法になるとした。
これに対してマルクスは、宗教が原因ではなくてむしろ結果であると見た。この際にマルクスは、特に貨幣に注目する。つまり見えない神ではなく、黄金色の神である貨幣への崇拝こそが、現実生活の疎外の原因だと考えたのである。そして貨幣を求めて徒に致富活動を行い、少数の富裕と多数の貧困で社会を分断させる経済のあり方こそが中心的な疎外の領域であるとした。宗教的な疎外は経済的な疎外の原因ではなく結果である。こうしてマルクスはヘーゲル及びフォイエルバッハとは違った形での疎外論を展開する準備に入ったのである。
つまり疎外を克服するためにはフォイエルバッハのように結果である宗教的意識を変えることでは叶わず、原因である経済のあり方を変えなければいけないという、まさに以降のマルクスの大前提となる立場を明確にしたのである。
そうすると次に問題になるのは一体だれが経済のあり方を変えるのかという、変革の主体である。この問いの答えは黄金色の神への疎外に焦点を定め得た「ユダヤ人問題に寄せて」では未回答だったが、すぐ後の「ヘーゲル法哲学批判序説」では明確にプロレタリアート、つまり賃金労働者だと宣言したのである。
以降マルクスはこの立場、資本主義はプロレタリアートによってこそ変革されるし、社会主義革命はプロレタリア革命でしかありえないという原則を終生堅持した。しかしこれはプロレタリア以外の勢力を物の数には入れないという話ではなく、時と場所に応じてプロレタリア以外の勢力が重要な役割を果たす可能性も排除しない。しかしながらマルクスは、革命の中心には常にプロレタリアートがあることを決して譲ることはなかった。これは社会主義革命の本義がプロレタリアの自己解放にあるからである。プロレタリアは生存のために選択の余地なく労働をしなければならない。しかし労働はその本来のあり方においては仕方なく行う苦役ではなく、それを通して人間性を発現するはずのものである。だがプロレタリアがプロレタリアである限りは、そうした望ましい労働のあり方を実現できない。従って賃金労働が否定されない限り、人間に相応しい労働は実現できないのである。
こうして社会主義の実現とは資本主義の中心的な構成要素である賃労働の否定であり、階級としてのプロレタリアの消滅になる。こうした社会主義とプロレタリアのあり方がマルクス以降のマルクス主義思潮では必ずしも適切に理解されなかったという論点は一先ずおくとして、宗教ではなくて現実生活における疎外に問題の焦点を定め、革命の主体をプロレタリア見たマルクスが次に問うたのが、プロレタリアにおける疎外のあり方だった。プロレタリアが主として行うのは労働であり、資本主義における賃金労働である。従って何よりも問われなければならないのが、労働における疎外ということになる。だからマルクスは「ヘーゲル法哲学批判序説」のすぐ後の『経済学・哲学草稿』で「疎外された労働」論を展開したのである。そしてこの疎外された労働論こそが、マルクスの理論的核心であると共に、マルクスの社会主義論を理解する鍵でもある。
ではその「疎外された労働」論だが、マルクスの社会主義構想を概観するという本書の方針に則って、『経済学・哲学草稿』自体への細かいコンメンタールも、マルクスの疎外論全体についての詳細な解釈も割愛し、マルクスの社会主義理解の前提となる部分だけを伝えることにしたい。
「疎外された労働」は、『経済学・哲学草稿』第一草稿の後半部分に展開された議論に対して後の時代の編集者が付けた表題である。この第一草稿は独特な体裁を取っていて、原稿を罫線で三分割して、それぞれ労賃と(資本)利潤と地代という、アダム・スミスによって「所得の三源泉」とされた問題についてそれぞれ先行著作の引用を多くしながら同時並行的にノートしていき、その後で罫線で区分けしない通常の原稿のスタイルに戻して、引用した経済学者たちの議論を総括する形でマルクス自身の経済理論を展開するという形になっている。そこが「疎外された労働」の個所で、まさにマルクス自身の経済学が労働疎外論として打ち出される。
引用するスミスのような先行する経済学者をマルクスは「国民経済学者」と呼び、国民経済学者が主題にする経済社会を「国民経済学的状態」と称する。この当時のマルクスには、生産様式の概念が確立していなかった。従って資本家的な生産様式としての資本主義概念も未形成だった。しかしここでいう「国民経済学的状態」は実際には資本主義を意味しており、この言葉を資本主義と入れ替えても、読解に困難は生じない。
そうした資本主義である国民経済学的状態を擁護するイデオローグ(この言葉もまだマルクスは獲得していなかったが)が国民経済学者であり、こうしたイデオローグの理論を批判することを通して資本主義である国民経済学的状態を批判する原理を提示するのが、第一草稿の主眼である。
マルクスは先ず、三分割したノートで行ったように国民経済学の前提から出発し、国民経済学の諸前提を受け入れてきたとする。そして自らの批判が国民経済学を外からレッテルを貼って断罪するような外在的なものではなく、国民経済学と同じ対象を説明するに際して国民経済学の不足や欠点を指摘する内在的なものであることを宣言する。その上でマルクスは、国民経済学は私的所有から出発するが、しかし国民経済学はこの前提である私的所有の本質を概念的に把握することはできないと批判する。
この「概念的に把握する」の原語はbegreifenで、語幹はgreifenという動詞である。greifenはつかむという意味なので、begreifenには何かをしっかりとつかむいう意味が込められている。何をつかむと言えば「真理」で、真理をしっかりつかむことがbegreifenにして、つかまれた真理がBegriff=概念である。
こうした「概念」の理解はヘーゲルに由来するものである。
ヘーゲルは、真理は運動する有機的な全体であって、全体であるがためにその本質をつかむには断片的な情報を寄せ集めるだけでは不十分だとした。存在の本質はその存在を構成する部分が有機的に運動し続ける全体として把握された場合にのみ、その真実を明らかにするとした。従って私的所有の本質はそれが全体的に運動する全体として掴まれた時にのみ、その真実が露になる。そして国民経済学はそうした私的所有の原理を把握することができなかった。それは、国民経済学は私的所有を私的所有ならしめ、その存在を可能にし続けている「私的所有の運動の原動力」を理解することができなかったからではある。
これに対してマルクスはこうした私的所有の原動力を解明したがために、国民経済学の成し得なかった私的所有をbegreifenすることができたのである。それはつまり、私的所有の本質は「疎外された労働」であり、国民経済学者が私的所有の本質をbegreifenできなかったのは、私的所有が労働の疎外から生まれるという事実をつかめなかったということである。これに対してマルクスは私的所有とは労働が疎外されることによって生じるという事実を理解できたために、国民経済学者の成し得なかった私的所有の本質をbegreifenすることができたのである。このためマルクスは私的所有が疎外された労働から生じるというメカニズムを解明することによって、ここから「国民経済学の全てのカテゴリーを展開することができる」とまで言うのである。
実際このことは『経済学・哲学草稿』のマルクスのみならず、『資本論』のマルクスにとっても真なのである。
『資本論』は多岐にわたる話題を扱った浩瀚な体系書だが、つまるところは資本とは何かを解明した書であり、資本とは本質的には何なのかという資本の概念規定が全体の議論の前提になる。本書は社会主義入門のため、『資本論』から多く引用して論証するという作業は割愛する(詳しくは『99%のためのマルクス入門』参照)が、端的に言えば資本とは労働者が作り出した生産物でありながら労働者から疎外されて自立化し、逆に労働者を手段として使って無目的な自己増殖活動を行うような運動体としての、疎外された生産手段なのである。つまり資本の本質はそれが疎外された労働生産物なことにある。『資本論』には『経済学・哲学草稿』にはなかった経済理論の新たな展開が多々見られるが、事が資本の本質規定である場合は、その基本認識は同じである。資本とは疎外された労働手段であり、それだからそれを否定し克服しなければならないのである。この基本認識と実践の基本方針に関しては、若きマルクスも成熟したマルクスも違いがない。つまりマルクスは経済学研究を本格的にスタートした時点で自らの批判対象の核心を直ちにつかみ取ったのである。そしてこの初発の核心はマルクスの中で放棄されることなく終生保持されたのである。
また、私的所有が疎外から生じるということは、私的所有を批判し実践的に批判するだけでは、資本主義を真実には乗り越えられないことを意味する。そしてこの疎外と私的所有の因果論は、マルクスを同時代の社会主義者や共産主義者と区別するマルクスの独自な理論的貢献でもある。
マルクスと同時代の社会主義者や特に共産主義者の多くは、否定すべき現状の根本原因を私的所有に見て、私的所有を思い思いの仕方で批判し、私的所有の克服により理想の新社会がもたらされることを展望していた。そうした理論状況を象徴するのが、プルードンの『所有とは何か』(1840年)で提起された、「所有とは何か?それは盗みである」というスローガンである。
この直截なスローガンが一世を風靡したことが意味するのは、当時の社会主義者や共産主義者にとって私的所有の問題、財産を私的に所有し蓄積できることが、諸悪の根源だと広く観念されていたという事実である。
こうした私的財産の害悪視は勿論古代ギリシア以来の伝統だが、当時の人々に決定的な影響を与えたのは、ルソーを代表とし、モレリ等の匿名文書に示されていたようなフランス啓蒙主義だと思われる。
マルクスは決して革命的暴力を自明視も目的視もしなかったが、逆に原則的に暴力を否定することもなかった。必要で不可避な場合は確かに、革命は暴力的過程を経ざるを得ないと見ていた。このことは彼がブランキからの影響を隠したり強く否定することがなかったことからも明らかである。
しかしブランキはバブーフやブオナロッティの流れを汲み、少数の精鋭分子による武装襲撃の有効性を訴えていたし、そうした少数の暴力により直ちに理想社会が実現できるかのように夢想していた。しかしこれは明らかに無理な想定であり、階級としてのプロレタリアの成熟を革命の前提条件とする限りでマルクスとブランキは一線を画す。この点はマルクスが当時の社会主義者や、特に財産平等を強調していた既存の共産主義勢力と自己の構想との区分けに腐心する姿勢に通ずる。
マルクスは『経済学・哲学草稿』で自己の共産主義像を積極的に提示する前に、否定すべき反面教師としての既存の共産主義思潮を類型化している。
その中で一番力を割いて批判しているのが「粗野な共産主義」である。この「粗野な共産主義」については既に『99%のためのマルクス入門』で幾分詳しく解説しているのでここでは簡単に済ますが、具体的にどの思潮を指しているかは定かではないものの、恐らくは特定の思想家やグループというよりも、「私的所有を否定する共産主義」に対して、当時の人々、そして残念なことに現代でも少なくない人々が抱いていると思われる通俗的な偏見をやや戯画化した議論だと言えよう。
この粗野な共産主義は人々が共産主義を忌み嫌うイメージそのままに、およそ所有の対象となりえる物の一切の私的所有が禁じられ、全てが共有されているような社会だとされる。
我々が私的な領域として最も重視し、徒な共有に忌避間を抱く領域といえば個人的な友情や恋愛といった人間関係であり、特に性愛などが最たるものだろう。それだからこそこの「粗野な共産主義」ではこうした最も私的な領域とされる恋人や夫婦関係でのパートナーシップが否定され、「女性の共有」が行われるのだという。我々が常識とするような、男女が特定のパートナーシップを持続させずに、自由に相手を選んで変えていくとというような性愛によって成り立っているのが、こうした粗野な共産主義なのだという。
当然こうした社会では、我々が普通に想定するような家族は形成されず、伝統的な家族関係は解体されている。
こうした社会のあり方を聞けば我々は直ちに嫌悪感を覚えずにおられないものだし、こうした社会が理想と考えられることは例外だと思うかもしれないが、先にも触れたように、プラトンを代表として、血縁に基づく家族関係を解体して、子供を共同体全体の財産として養育すべきだという理想像は、決して珍しいものではなかった。
こうしたこともあって共産主義者若しくは共産主義に親和的な人々の中では、自然的家族の解体という構想は世間一般の常識のように拒否されるよりも、むしろ好意的に受け止められることが多かった。
ところが共産主義の代名詞であるマルクスその人は、まさにそうした共産主義を粗野なものだと否定した。実は彼は、一貫して我々が馴染んでいるような一般的な恋愛観や結婚観、それに家族観の持ち主だったのである。
実際マルクスは年上で身分違いの貴族という、当時としては慣例に外れる相手だったとはいえ、事実婚とか契約結婚とかではなくて普通に結婚し、ディンクスとかではなくて何人もの子供をもうけるという、当時の常識通りに振舞っていたのである。結婚時点で既に父は亡くなっており、生きていたとしても親の言うことを素直には聞かなかったマルクスである。もとより親類縁者からのプレッシャーなど何物でもない。結婚して子供を作らなければいけないという外的圧力など受けなかった。だからもしマルクスが伝統的な家族の解体をよしとしていたら、結婚して子沢山の家族を築くという、自らの思想を裏切ることはしなかっただろう。
これは皮肉な事実だが、人間の本性や歴史的事例を踏まえれば、家族問題で発揮されたマルクスの意外な保守性は、むしろ適切だったと言える。
資本主義が克服されて人類の前史が終われば、社会のあり方が根本的に変わるとマルクスは展望したが、家族のあり方に関しては根本的な変化はないし変化すべきではないと考えていたということである。
勿論家族のあり方が変わるべきではないといっても、女性を抑圧したり子供に親への絶対的服従を強いるような家父長的家族は不正であり、両性の平等と子どもの人権を重視する家族のあり方にならないといけない。その意味では伝統的な男性優位型の家族形態は解体されて変わるべきである。ここで変わるべきではないというのはもっと根源的な次元で、親子関係を基本とする自然的な人間関係をも人為的に変更させようとするような場合である。
例えば乳幼児の段階から母子の接触を遮断して自然な親子関係を否定し、どの子供も等しく共同体全体の子として集団的に養育するというような方法は望ましくないということである。
現在の我々の常識ではそんなことは言われるまでもなく当然という気になるが、先に述べたようにプラトンを始めとしてそうした不自然な親子関係をむしろ推奨するユートピア像は珍しくないし、プラトンが範を求めたスパルタでは実際にそうした養育がなされていたのだという。
こうした養育方法は個人の自由を否定して共同体への滅私奉公を当然視するような、それこそスパルタの戦士のような人格を育成するには適しているのかもしれないが、自立した個人を育てるという我々の常識的な教育観とはそぐわない。我々が望む社会主義もまた、『共産党宣言』で謳われているような自由な諸個人によるアソシエーションを目指すのである。そうした個人が十全に育まれるためにはブルジョア的な家父長的家族は解体される必要があるが、親子の情愛を基本とする家族それ自体は解体する必要はない。
ただしマルクスの場合は人間関係の原形となる親子関係は、専ら血のつながった実の親子が想定されている。しかし排他的な特別な愛情を親が注げる子供ならば、養子であっても問題ないのである。
いわゆる先進諸国では基本的に人口増加は頭打ちで、長きにわたる不況から最早先進国とは言えないという声も多いが、一応まだ先進国とされている我が国でも人口動態の上では近年は減少が著しい。とはいえ地球人口全体としては増加の一方である。こうした現状からすれば、子供はできる限り作るべきではないというのが一般的な指標になる。とはいえ、子供はぜひとも欲しいという人は多いだろうと思う。その意味で、経済的に余裕のある人々は、貧困のために親が育てることができない子供を養子として育てるというのが望ましい。血がつながってなくても、養父母がきちんと愛情をもって育てれば問題なく子供は育つというのは、養子縁組が広く行われている事実によって立証されている。養子の数が増えれば増える程に偏見も減り、養子による親子関係が一般化していく。そうなると人口問題に有益な効果をもたらせるし、実の親がまともに育てられないような不幸な子供も減る。この点では、マルクスの家族論は修正する必要がある。
しかしマルクス以降のマルクス主義の中にはブルジョア的家族のみならず家族それ自体を否定するような思潮も見られた。これはまさにマルクスの否定する粗野な共産主義である。そうした共産主義的家族像はマルクスの歪曲なので、マルクス主義の枠内で主張するのは不当ということになる。そして正しいのは粗野な共産主義ではなくてマルクスである。
求められるのは愛情を金銭に変えてしまうようなブルジョア的な家族や男性の絶対的優位や親への服従を子供に求めるような封建的な家族の解体であって、家族それ自体の解体ではない。そうした人間関係を結婚という制度で保証する必要はないが、お互いの相手を自由に他人と交換することを許さないような、排他的な愛情で結び付いたパートナーシップを否定する必要はない。親子関係もしかりである、誰の親とも子とも分からない共同体のあり方は可能かもしれないが、理想としなければいけない説得的な理由はない。望まれるのは家族をより良いものにする社会であって、家族のない社会ではない。そして後に見るように、マルクスの理想社会とは家族原理が普遍化した社会なのである。
ともあれ、マルクスが彼の理想社会論を構想するにあたって、予めそうなるべきではない否定的な共産主義像を提起しているのは重要である。マルクスは人類がやがて理想的な社会を築きうると確信していたが、無条件に楽観していたのではなく、陥りがちな落とし穴にはまらないように細心の注意をしないといけないことも強調していた。今風に言えば、ユートピアがディストピアに転化する可能性も想定したわけである。
マルクスにあった慎重論は後継者には受け継がれず、無根拠な楽観に基づく様々な実践が現実社会主義で悲劇的に実現したりもした。ここではマルクスに議論を絞るが、彼がこうした否定的な理想社会の類型化ができたのも、目指すべき理想社会の性格を基礎付ける普遍的な方法論があったからである。それは理想社会を「疎外の止揚過程」という文脈に位置付ける認識である。
この基本認識はマルクスが社会主義を明確に志向し始めた『経済学・哲学草稿』で既に確立されている。なぜならこの草稿でマルクスは粗野な共産主義とは異なる目指すべき共産主義を「疎外の積極的な止揚」と位置付けているからである。つまり社会主義とはマルクスにおいて、資本主義が生み出す疎外を克服していく過程だとされている。そしてそうした疎外が十分に克服されて、人間にふさわしい完全な形の共産主義に至るとしている。
この二段階的な認識は何よりもマルクスの理想社会論の最終的な展開である『ゴータ綱領批判』の初期段階の共産主義と高度段階の共産主義の区分に代表される。この議論を踏襲してレーニンが初期段階の社会主義と発展段階の共産主義に分けて以来、マルクス主義の文脈では通例化した区分となっている。そしてこの段階論的思考はマルクスにあっては、既に『経済学・哲学草稿』で確立した彼の生涯を貫く基本視座である。ただし『経済学・哲学草稿』では後の用法とは異なり、社会主義に当たる段階が共産主義、高次共産主義が「社会主義としての社会主義」となっていて、用語法が逆転している。そのため共産主義が完成形態ではなく、疎外の積極的な止揚過程として、通例の用語法としては共産主義の建設過程としての社会主義に当たる段階として捉えられている。
いずれにせよマルクスにとって目指される社会は疎外のない社会であり、革命後の社会が疎外を無くしていく社会になり得ているかどうかがメルクマールだった。それだから、疎外を無くすどころか資本主義的な疎外を資本主義とは異なる形で拡大再生産するような「共産主義」を、偽共産主義として類型化する問題意識を持てたのである。
そうした偽共産主義の一つである粗野な共産主義は、資本主義の根本原理である私的所有を本質的な次元で批判せずに機械的に否定したために、私的所有原理を資本主義とは違った形で再現している。つまり、マルクスにあってその社会が共産主義であるかどうかは、単に生産手段の私的所有が禁じられているかどうかに尽きないということである。たとえ私的所有が禁じられていても、粗野な共産主義がそうであったように疎外を産み出す社会ならば、その社会は看板だけの社会主義であって、本当の意味での社会主義ではない。
それだから後に詳論するように、旧ソ連東欧のような現実社会主義は、まさに現実社会主義者にとっても究極根拠であったマルクスその人の理論からして、それが実は社会主義ではないことが明確になる。なぜなら現実社会主義は私的所有を禁じてはいたが、その労働過程は資本主義同様に疎外されていたからである。確かに疎外された労働生産物は資本主義のように資本家に搾取されることはなかったが、資本主義同様に労働者は自らの産物を我がものとして獲得=領有することはできずに、生産物の処遇は資本家ならぬ国家官僚によって決められていたからである。
このように、マルクスの社会主義論の根底には彼の疎外論がある。マルクスのみならず社会主義思潮一般の前提である私的所有の否定が、マルクスの場合は疎外論に基づいて行われているからである。そのため、マルクスの社会主義論を理解するには、疎外された労働生産物の挙動を研究する『資本論』の経済理論同様に、彼の疎外論を理解する必要がある。
本書はあくまで社会主義の入門書であって、マルクス自体の入門書でもなければ、疎外論であるマルクスの哲学の入門書でもない。『99%のためのマルクス入門』のようなマルクス自体の入門書も『マルクス哲学入門』のようなマルクス哲学の入門書も既に出してあるので、マルクスの疎外論についての詳しい解説はそれらに譲って、ここでは主としてマルクスの社会主義論を理解するための助けとなる範囲で、彼の疎外論を解説することにしたい。
先に少し触れたように、マルクスに限らず、マルクス以前のユートピアンもマルクス当時の社会主義者やとりわけ共産主義者は、何よりも私的所有を否定することをそれぞれの思想と運動のメルクマールとしていた。マルクス自身も『共産党宣言』で共産主義とは端的に言えば私的所有の否定運動だと明言しているように、先行する共産主義者と共に私的所有の否定に共産主義の核心を見ていた。ところが、マルクスと先行者には決定的な違いがあった。
先行者は近代の社会主義者から古代のユートピアンも含めて、私的所有というか、所有一般にこそ諸悪の根源を見ていた。プラトンの理想国家で所有が厳しく禁じられているのは先に見たが、所有への忌避はプラトンの思想的ライバルだったアンティステネスにより一層強く見られる。
アンティステネスは後に「キュニコス派」と呼ばれるようになった哲学派の始祖で、キュニコス派は「犬儒派」の別名でも知られる。
アンティステネスは師のソクラテスが説いた「魂の世話」により「善く生きる」道を、魂を曇らせ道を誤らせる欲望を遮断する方向に見出した。そしてそうした欲望の根源は突き詰めれば所有欲にあるとした。だから何も持たない乞食のように生きることが最善の道ということになる。
そのためアンティステネスと弟子たちはみすぼらしい身なりで本当に乞食のような出で立ちで街中を徘徊した。その様子を見た人々は彼らをまるで犬にようだと蔑んだ。しかしアンティステネスは怒るどころかむしろ逆に、まさに犬のように裸一貫でいることこそが哲学者にふさわしいとした。
こうしたキュニコス派で最も有名なのはシノペのディオゲネスで、古来から様々に寓話化されている。
このように諸悪の根源を所有に見るのはキュニコス派に限らず、世の東西を問わず多く見られる。既に指摘したように原始キリスト教も所有を否定する傾向は明確で、それだから社会主義思潮の最大の源泉となったのだし、東洋でも仏教を始めとして所有欲は基本的に否定的に見られている。
最も極端なのはジャイナ教で、所有の否定が着衣の拒否にまで行き着いた。だからジャイナ教の出家者は一年中丸裸で過ごす。そのためこうした「裸形派」では女性が出家できないとして、装飾性のない質素な着衣は許容する「白衣派」が派生したのだった。
こうして社会主義の共通指標である私的所有の否定には、それこそが人間にふさわしい生き方だと広く観念されていた所有自体の拒否という哲学や特に宗教の間で一般的な通念があり、そのために社会主義者や特に共産主義者は、それ以上は遡る必要を感じずに、所有を諸悪の根源として当然のように前提していたわけだ。
これに対してマルクスは、私的所有は疎外された労働の結果だとしたのである。
生産手段を所有する資本家が所有できない労働者を搾取するのが資本主義なのだから、現象面からみればやはり諸悪の根源は私的所有であり、生産手段の私的所有を否定することが資本主義批判の核心ということになるはずである。実際旧ソ連東欧のような現実社会主義では生産手段の私的所有が法的に禁じられていて、この事実でもって現実社会主義が自他共に社会主義だということの根拠としていた。そしてマルクス自身も『共産党宣言』で共産主義を「私的所有の止揚」として特徴付けていた。
しかしマルクスの言う私的所有の止揚は、これまでの社会主義者や共産主義者が考えてきたように、私的所有を法的に禁じたりしてただ否定するだけでは成し遂げられない。なぜなら私的所有は疎外の結果なのだから、原因を無くさなければ結果は再生産され続けてしまうからだ。
実際これが現実社会主義で起きたのである。旧ソ連や東欧には資本家はいなかったが、資本主義の資本家の位置に国家官僚が居座り、官僚によって労働者が搾取された。それはこの社会も資本主義同様に労働が疎外されていたからである。原因を取り除かなかったため、私的所有という結果が資本主義とは違った形で現れたのである。
こうしてマルクスにあっては私的所有と私的所有の運動である資本は、初期の『経済学・哲学草稿』から『資本論』まで、一貫して労働者が自らの労働過程から疎外されることによって生じるものとして理解され続けたのである(『99%のためのマルクス入門』参照)。
このため、資本主義の否定である社会主義とその先にある共産主義は、マルクスにあっては常に資本主義の原因である労働の疎外と結び付けられる形で常に議論され続けた。
こうして社会主義を「疎外の止揚」として位置付けたことこそが、他の論者にないマルクスの独自性であり、理論的に掛け替えのない長所である。本書の主眼もここにある。
つまり本書が主張したいのは、社会主義を疎外論の土台の上に、疎外の止揚過程として説いたことこそが、マルクス社会主義論の卓越性であり、社会主義を考える際には、疎外の止揚という観点を基本視座にしなければならないということである。
これから様々な社会主義思潮が模索されるべきだが、今後の展開にマルクスの理論が決定的な重要性を与えているのは、社会主義をこれまでの共産主義者がそうであったように私的所有の否定でも社会民主主義者が求めた市場経済の合理化でもなく、疎外の止揚という文脈に社会主義を位置付けたことである。これにより社会主義はただ経済システムの問題のみならず、経済を手段とした人間のあり方それ自体の問題として明確に位置付けられることになった。
経済は社会の土台であり、経済の核心は労働過程である。従って労働が疎外されることによって、疎外は必然的に社会の全領域に拡大される。社会全体が疎外されれば社会的存在である人間の実存それ自体が疎外される。このため、疎外された労働の止揚を社会主義運動の主眼とすることによって、社会主義の目的は明確に人間の解放になる。こうしたヒューマニズムとして社会主義を位置付けることにより、社会主義運動の評価基準も明確になる。すなわち、革命勢力が社会主義者を自称していても、その為すことが非人間的ならば社会主義に相応しくなく、首尾よく革命を成功させて建設できた社会が非人間的ならば、その社会は社会主義ではないということである。言うまでもなくまさに現実社会主義こそがその実証だった。
マルクスは社会主義や共産主義の代名詞なので、その著作で未来の理想社会を多く語っているかといえば、必ずしもそうではない。とはいえその理由は、エンゲルスの定式化以来通念となった、科学的社会主義者は空想的社会主義者のように未来を語らないというものではない。
実際にはマルクスは通念と異なり、必ずしも多くはないが未来の理想について随所で語っている。ただマルクスはフーリエのように、まるで見てきたように詳細に語ったのでは議論の信憑性が逆に薄れるのではないかというごく常識的な注意から、過度に詳細ではないがしかし未来の方向性としては明確に目指すべき理想を語っている。
そのためマルクスの社会主義論を全て解説しようとすれば相当の分量になり、マルクスだけ扱っているのではない社会主義の入門的著作で解説することは不可能である。そこでここでは、マルクスの社会主義論の中で、一般的に代表的な理論とされているものをピックアップして、ごく簡単に解説することにしたい。ごく簡単にするのは、詳細に語ろうとするとそうしたピックアップされた文言に対してだけでも長大なものになり、ここでは語りきれないからである。