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十分でわかる日本古典文学のキモ 第五回 徒然草

〇いちばん読まれている古典は何か?

いちばんひろく読まれている、日本の古典文学は何でしょうか?

もっとも高名な作品――これならたぶん、『源氏物語』です。けれどもこの物語は、「つまみ食い」をするにしたって、一ページや二ページでは足りません。おまけにひとつひとつの文が長く、「古文慣れ」していない読者には読みづらい。そのせいか、たいていの高校教科書に載ってはいるものの、授業で取りあげられないケースもあるようです。

中学一年の教科書にかならず載っている『竹取物語』、中学二年でほぼ全員が習う『平家物語』、中学三年の定番教材である『徒然草』と『おくのほそ道』、「高校における古文学習入門」として位置づけられている『今昔物語』と『宇治拾遺物語』。これに、かるた取りで親しまれている『百人一首』をくわえた七作が、「実際に読まれている古典ナンバーワン」の候補でしょう。

今回はそのうちのひとつ、『徒然草』についてお話したいと思います。

〇何をめざして書かれたのか

『徒然草』は不思議な書物です。

筆者の個人的な感想が語られているかと思うと、みじかい説話のようなものがあらわれる。その説話的なエピソードにしても、「教訓話」と「奇妙でおもしろい話」が入り混じっている。宮中儀礼を考証している部分もあり、何をめざして書かれた本なのか、容易には見えて来ません。

この作品はしばしば、『枕草子』・『方丈記』とともに「三大随筆」と呼ばれます。

『枕草子』は、「〇〇なモノ」を列挙した部分と、挿話を書きとめた章段の複合体です。ちがったタイプの文章が同居しているという意味では、『徒然草』と似ていなくはない。ただし、清少納言がなんのためにこれを書いたのかはハッキリしています。彼女が活躍した藤原定子のサロン、その華やぎと洗練を、メンバーが共有していた美意識と、そこで起きた出来事を語ることでつたえたい。そんな願いが、清少納言の筆には託されていました。

『方丈記』から、一貫したテーマを読みとることも容易です。鴨長明は、世俗を離れ、ひとり静かに暮らす意義をこの書で説いたのです(詳しくは、本連載の第二回をごらんください)。

執筆意図が一目ではわからない。この点において、三大随筆の中でも『徒然草』はきわだっています。

〇「矛盾」だらけのテキスト

『徒然草』の「謎」は、これにとどまりません。この書のなかでは、あちこちで「矛盾する意見」が語られるのです。

たとえば第1段には、こんな叙述があります。

《御門の御位は、いともかしこし。竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人など賜はる際は、ゆゆしと見ゆ。
(帝の御位は、たいへんに畏れおおい。帝の御血筋は、子々孫々まで人間の種でないのが尊い。摂政や関白のご様子はもちろん、並みの貴族も、随身ーー公設のボディガードーーをつけてもらえる身分の人はすばらしいと見える。)》

社会的ステイタスの高さはそのまま善である。筆者がそういう価値観をもっていることは、このくだりを読むかぎり疑えません。

ところが第38段に目をやると、つぎのような文言が見つかります。

《位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家に生まれ、時に逢へば、高き位に昇り、奢りを極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから賤しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また多し。
(位が高く、尊い身分の人でさえあれば、すぐれた人といえるだろうか。愚かで不足だらけの人も、名門に生まれ、時流に乗れば、高い位に昇り、奢りをほしいままにすることもある。すぐれた賢人・聖人が、自分の意志で低い身分にとどまり、時流に乗らずに一生を終わる例も、また多い)》

身分が高いのはいいことだが、身分が高い人がりっぱとはかぎらない――『徒然草』はそう主張しているのです。なんだか謎かけをされている気分になってきます。

ひとつの章段のなかで「矛盾」が生じているのが、第41段です。

筆者は馬くらべの神事を観ようと上賀茂神社に出かけた。多くの観客にさえぎられ、競技がおこなわれる馬場は見えない。そんななか、栴檀の木にのぼって見物している法師がいた。この法師は木の上で居眠りをして、何度も落ちそうになっては目をさます。これを見てある人が、「ばかなヤツだなあ。あんな危ない場所でよく眠れるね」といった。そこで筆者は「われわれこそ、今すぐ死ぬかもしれないのに、こんなところで遊んで時間をムダにしている。愚かという点ではあの法師より上だ」と述べた。すると、観客たちは感動して、馬場のよく見える特等席を筆者のために空けてくれた。

「馬くらべを観て、時間を空費するなんてばかげている」と口にすることで、馬くらべを観るいちばんよい席を確保する。しかも筆者自身、それでけっこういい気になっている(席をゆずられたことを書いたあとで、「時宜を得た発言だったから、人の心にしみたのだろう」と述べたりしています)。『徒然草』の書き手は、自分のちぐはぐさに気づかないほど鈍いのでしょうか? それとも、とんでもない偽善者なのでしょうか?

〇俗世で成功するために俗世を離れる

ここで目を向けるべきは、『徒然草』を書いた兼好のプロフィールです。

兼好は、貴族使用人となる階級の出で、身分は高くありません。くわしい事情はわかりませんが、比較的若い時期に出家。和歌の達人として、生前から名声を博していました。

この「歌の実力をみとめられた僧」というのが、兼好を考える要点です。

僧は建前上、世俗の身分秩序や政治組織に属しません。それゆえ、法や慣習に縛られず、さまざま立場の人間と自由に会うことが可能です。この条件を利用して、中世社会では、多くの僧が密使やフィクサーの役割を担いました。

僧であるのみならず、「和歌に長じた文化人」ということになると、政治上の有力者に近づくことはいっそう容易になります。作歌のアドバイスをする、古典作品の解説をおこなう――そういった「生ぐさくない口実」をもうけ、権勢をにぎる人間のもとに出入りできるからです。

兼好も、鎌倉幕府の高官だった金沢貞顕や、足利尊氏の覇業をささえた高師直と親しかったといわれます。世俗を離れた立場にいるから、世俗の世界で重用される――そんな逆説的な境遇にいる人間が『徒然草』を書いた。このことは、忘れてはならない事実です。

今すぐ死ぬかもしれないのに、馬くらべを観るのはばかげている。この発言は、仏教的な無常観にもとづいています。そしてこれを口にした結果、特等席で馬くらべを観るという「現世利益」を得た。このとき矛盾にさいなまれず、満足を感じる生きかたを、兼好はえらんでいたわけです。

捨てたはずのものが、捨てたからこそ手にはいる。そんな特殊原理に則して暮らしていたひとのことばだと考えると、第1段と第38段のあいだにも整合性が見えてきます。社会的地位が高いことはすばらしい。だが、自分なりに目いっぱいのステイタスを得たいのなら、それに執着しすぎたり、幻惑されたりしてはいけない。そういう認識があったから、尊貴な身分を称揚するいっぽうで、地位と人品は必ずしもつりあわないと言えたのでしょう。

「花は満開の桜を、月は満月をめでるのがいちばんなのだろうか?」と問いかける第138段。「宮殿を建てるときも、未完の部分をのこすのが慣例だ。古今東西の名著にも、かならず欠けた巻がある」と述べる第82段。『徒然草』はくり返し、「不完全である意義」を訴えます。これはなぜなのか。俗人として欠けたところがあるゆえに、俗世で活躍できた兼好の履歴がそこに影響していると、私には思えてなりません。

〇「教養の闇鍋」をぶちまける

「歌僧」がすべて兼好のように生きていたと考えるのは、むろんあやまりです。たとえば鴨長明も、歌詠みとして高名な出家者でした。けれども人づきあいが苦手だった長明は、後鳥羽院などの有力者とまじわっても長つづきしていません(この点についても、本連載の第二回で触れました)。権勢家たちに兼好が近づけたのは、立場を利用できるコミュニケーション力があったからでしょう。

和歌にすぐれた僧侶として、さまざまな立場の人間と行き来をする。これをつつがなくこなすには、途方もない分量の知識がもとめられます。

歌の専門家を掲げる以上、『古今集』などの有名歌集のみならず、『源氏物語』をはじめとする王朝物語に通じていなくてはならない。平安末期に藤原定家たちが、「物語の作中事物になりきって歌を詠む」という方法を確立したからです。

そして、かりそめにも出家者なのですから、仏典の勉強から逃げられない。経書やその解説は漢文で書かれています。となると、『論語』や『老子』といった、漢籍の素養の基礎をつくる書物も「必修科目」です。

さらに、当時の知識人は、儀式でのふるまいや、このとき身に着ける服装についてもしばしば訊ねられます。本を読んで物事を調べられる人間は、当時はかぎられていたのです。そうした質問をされたときに備え、宮中儀礼などの勉強もおろそかにできません。

兼好のような人物は、膨大な知識を、相互の関連づけが不十分なままたくわえこんでいたわけです。それらの知識は出番をもとめながら、宿主の頭のなかでひしめきあっていたにちがいない。兼好は、脳内に「教養の闇鍋」を宿していたのです。

そういう人物が口にした言葉である、という事実を心に刻んで、有名な序段を読みなおすと――そこには、これまでとちがった光景が浮かびあがってきます。

《つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
(することがないので、一日中、硯にむかって、心に浮かんでくるたわいのないことを、何となく書きつけていると、何だか妙な、狂おしい感じがしてくる)》

頭のなかいっぱいにつまってひしめきあう知識たち。それらを筆のおもむくまま紙に書きつけていった。するとそこには、あやしく狂おしい、名状しがたいことばのつらなりがあらわれた――

時と場合に応じて、もとめられる知見を提供し、俗世にも迎えられる。それが「兼好のようなひと」の生きかたです。そんななか、兼好だけは、頭に宿した闇鍋をありのままぶちまけてみる気になった。その結実が、『徒然草』という類例のない書物だったのです。

〇角川ソフィア文庫版がおすすめ

超のつく有名古典だけに、『徒然草』の注釈書・現代語訳は何種類も出ています。それらのなかで、はじめにどれを手にしたらいいのか。

私の個人的なおすすめは、小川剛生が現代語訳と注解をつけた角川ソフィア文庫版です。

兼好は、吉田神社という由緒あるお宮の、神職を出す家柄に生まれた。兼好自身も従五位下の位をもち、貴族の末席つらなっていた――兼好の出自については、ながらくそういわれていました。

この「定説」をくつがえしたのが、小川です。兼好は、吉田神社の神職を継ぐ一族とは無縁である。身分的にも、貴族ではなくこれに仕える階層に属し、出家前は武士であった。そうした事実を、小川は立証したのです。

角川ソフィア文庫版の現代語訳と注解は、小川の見いだした「あたらしい兼好像」にもとづいています。これまでの注釈書にない画期的な解釈に、私は何度もうならされました。

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