コラム
プロ講師のコラム The Owl at Dawn
ファッションから見た映画と社会
連載第5回 オードリーとその恋人たち~その5~
○ハンフリー・ボガートとの確執
ずっとデイヴィッドにあこがれていたサブリナが、いつしかライナスとの愛に目ざめる――『麗しのサブリナ』は、そういう展開をたどります。
ライナスは、もともと「モテるタイプ」ではないうえ、サブリナとは親子ほども齢が離れている役どころ。
「サブリナとの齢の差がきわだち過ぎ、〈老け役〉のイメージを持たれてしまう」
「若く颯爽としたデイヴィッドを引きたてるだけに終る」
ライナスを演じることは、俳優にとって大きなリスクをともないます。ケリー・グラントがこの役を降りたのも、「キャリアの瑕」になりかねない要素を感じたからでした。
最終的にライナスにキャスティングされたハンフリー・ボガートも、撮影現場ではナーバスになっていたようです。
「ウィリアム・ホールデンとオードリー、〈若い二人〉がおいしいところをもっていく映画になるのではないか」
ボガートは、そうした疑いを捨てきれなかったのです(このときボガートは55歳。いっぽうホールデンは36歳で、オードリーは25歳)。
加えて監督のビリー・ワイルダーは、かねてからホールデンと親密でした。『サンセット大通り』(1951)と『第十七捕虜収容所』(1953)という「歴史的名作」を、監督ワイルダー、主演ホールデンのコンビで製作。私生活でも、ホールデンはワイルダーの「お気に入り」でした。
撮影が終わると、ボガートは連日、取りまきと酒杯を傾けたといいます。しかし、ワイルダーとホールデンとオードリーのことは一度もさそわなかった。
「あの3人はグルになって、じぶんをのけ者にしている」
ボガートは、そう思いこんでいたのです。結果、「ボガートにさそわれなかった3人」は、撮影の合間や終了後、いっしょに行動するようになりました。ボガートは、ますます疎外感をつのらせます。
ボガートといえば、『カサブランカ』(1942)で演じたリックのイメージが強烈です。彼は「ナチスの弾圧にも屈しない硬骨漢」。トレンチコートを着て、雨のなかにたたずむ姿が印象にのこります。
トレンチコートは、現在では「きれいめ服」のイメージがありますが、もともとは塹壕で戦うときの服。1960年代にミリタリーブームが来るまでは、アウトドアウエアの典型でした。
ほかにボガートの代表作をあげるなら、1951年の『アフリカの女王』でしょうか。ここでのボガートは、ドイツ軍艦にボロ船で攻撃をかけるチャールズを演じています。そのいでたちは、チェックの襟なしシャツに麻のズボン。頭にかぶった船員帽もふくめ、全身泥だらけです。
ボガートはこの役で高く評価され、アカデミー主演男優賞に輝きました。
トレンチコートをまとって雨ざらしになるリック。帽子まで泥にまみれながらボロ船を駆るチャールズ。ボガートが得意としていたのは、「地べたをはいずりまわって何かをなしとげる男」です。
「さわやかな笑顔」でアイドル的人気のあったホールデンと、ボガートはまったくちがう個性をもっている。そのせいか、ボガートはホールデンのことを「ルックスがいいだけの非実力派」と見ていました。
ましてやオードリーは、「ハリウッド史上前例のないファッションアイコン」です。
「彼女のよさがわかるような〈軟派な感性〉は俺にはない」
ボガートは、そういいたいところだったでしょう。
セットのなかで、ホールデンやオードリーに対し、ボガートはあからさまにさげすむ姿勢を見せました。マスコミにむかっても、撮影が終わらないうちから、オードリーの「演技力の未熟さ」を公言する始末。
ボガートが「敵意」をむけたおかげで、ホールデンとオードリーは「連帯感」を募らせます。まもなくそれが「ロマンス」にまで発展したというのですから、ボガートにとっては皮肉な話です。
ハリウッドの慣習に「縛られている度合のちがい」も、「若い二人」とボガートを対立させた要因といえます。
「ヨーロッパ貴族の血を引く母」に育てられたため、オードリーは「ハリウッドセレブ」たちの価値観になじめなかった。この点については、連載の3回目にすでにのべました。
ホールデンは、申しぶんのない容姿をさずかって、金持ちの家に生まれた男。第2次大戦後のみじかい期間をのぞくと、俳優としてのキャリアも順調で、劣等感などもちようもないタイプです。
この種の男性にありがちなこととして、ホールデンは絶大な自信とともに、自己破壊的傾向を抱えていました。「おのれひとりの生きのこり」に汲々とする凡人にむかって、「命にすら執着する必要のないじぶん」を誇示する――「めぐまれ過ぎた男」は、しばしばそういうふるまいにおよびます。
ホールデンは、プライヴェートでスポーツなどをしていても、無雑作に危険をおかす傾向がありました。世渡りのうえでも、「保身」などすこしも気にとめず、「業界のしきたり」にとらわれない。「ハリウッドの異分子」であったオードリーは、そういう部分にも好感をもったようです。
いっぽうボガートは、生まれた家庭は裕福だったものの、俳優としては長らく「ギャング映画の脇役」が専門でした。スターの地位をつかんだのは、40歳を過ぎてからです。すでに「業界の重鎮」となっていた1945年、「なぜハリウッドは私をきらうのか」というインタビュー記事を公表。映画製作の内情を批判して物議をかもしました。「聖林村の掟」を憎悪しつつ、それにしたがわざるをえない。そういう時期がボガートにはあったのです。
「大物プロデューサー」や「スター」が馬鹿げた歓楽にふける――「ハリウッドの裏面」は、その種の「笑い飛ばせばすむゴシップ」だけではありません。「子役に覚醒剤を打ち、徹夜の撮影を強いた」という類いの「本物のダークサイド」も存在する(さすがに現代では、そんなまねはしていないようですが)。
そういった暗部もふくむ「業界のゆがんだ常識」。自分がさんざん苦しんだそれを、「実力不足の幸運児」と「新参者」が易々と無視している。そう感じたボガートは、「このままで生きのびられると思うのか!」という憤りを2人に覚えた。それが「邪険な態度」をエスカレートさせたことは、容易に想像がつきます。
「不幸な行きちがい」がかさなって、『麗しのサブリナ』の撮影現場は殺伐としていました。けれども完成した映画は、60年あまりの歳月を経て、今も高い人気を誇ります。
「運転手のぱっとしない娘」が、パリに留学して見ちがえるように洗練され、「大金持ちの兄弟」から求愛をうける――サブリナは、典型的な「シンデレラストーリー」をたどっていきます。意地のわるい見方をすれば、あざとい「成りあがり」といえなくもありません。
オードリーは、「運転手の娘」にしては気品がありすぎるうえ、「生活感」や「女っぽさ」に欠けている。そのことが、サブリナの「玉の輿を夢見るしたたかさ」を隠します。おかげで観客は、「嫌みのないおとぎ話」として、『麗しのサブリナ』を楽しむことができる。
ライナスも、ケリー・グラントのような「洗練された二枚目」が演じていたら、かえって落ちつきが悪かったはずです。
「このひとは、こんなに女性のエスコートに慣れていて、どうして中年になるまで一度も結婚しなかったのだろう?」
そんな「よけいな勘ぐり」を招いた可能性があります。
「遊び人の弟」とは正反対の「仕事人間」。それでいて、サブリナに愛されるだけの魅力はある――こうしたライナス像に説得力をもたせるには、「カッコいいけど、おしゃれではない」ボガートの持ち味が不可欠でした。
映画のラスト、デイヴィッドはライナスを一発殴ってから、サブリナを兄に譲ります。そして、兄とサブリナをパリに行かせ、兄の不在のあいだ、会社の切りもりを引きうける姿勢をしめす。「軟弱者」から「男気キャラ」に変貌するのです。
すでに触れたとおり、ホールデンには「これがなくては生きられない」という執着心が希薄でした。それが立ち居ふるまいにもにじみ出ている。このため、サブリナをあきらめるのも、見る側はすんなり納得できます。
また、デイヴィッドのような男が、「会社のかじ取りは俺がやる」と言いだした場合、まわりは不安におちいるはずです。でも、スクリーンのなかのデイヴィッドは頼もしく見える。ホールデンの物腰にただよう「体の芯からにじみ出る自信」のおかげです。
デイビィッドの転向を「自然ななりゆき」に見せられる――それは、ホールデンのようなキャラクターの持ち主にだけ許された「特権」でした。並みの「色男俳優」に、こんな「むずかしい役まわり」はつとまりません。
オードリーとホールデンとボガート。3人の取りあわせは、「個人的な関係」としては最悪でした。けれども『麗しのサブリナ』は、このトリオが出演しなければなりたたない映画になっている。
「われわれが撮影中、どんな風にすごしていたかは問題ではない。大切なのは、どういう仕事をのこしたかだ」
『麗しのサブリナ』について、監督のビリー・ワイルダーはこう語っています。まさしく「至言」ではないでしょうか。