コラム
プロ講師のコラム The Owl at Dawn
アゴラまでまだ少し 第15回 家族とノイズを笑う時間 (後編)
(前編のまとめ)
繰り返し報道される児童虐待事件とCMやドラマで流される美しき家族愛のイメージとの乖離。現代社会の「家族」はまるでスピルバーグの映画『トワイライトゾーン』に登場する「殺伐とした他人の関係」と「薄っぺらなファンタジー」が奇妙に同居する家族のようでもある。しかし70年代の日本のホームドラマ「時間ですよ」を分析すると、当時のクリエイターたちは既に「民主主義の理想が打ち砕かれた後の世界で我々はいかに本当の家族を実現できるか?」という問いに答えようと果敢に挑戦していたことが分かる。「時間ですよ」はホームドラマのパロディをホームドラマにすることで家族像にメタ視点を取り込む、という離れ技をやってのけた。しかし久世光彦によるこのドラマは単なるパロディに止まらず、再構築された家族像を生み出す可能性を秘めていたのである。
家族であること、家族となること
「時間ですよ」がホームドラマ的世界観をパロディにして笑い飛ばすだけでなく、パロディの先にある新しい家庭像の再構築にまでその射程を伸ばしていることは、久世光彦演出によるもう一つのドラマ「わが母の教えたまいし」と並列することで理解できる。
「わが母の教えたまいし」は1985年から2001年まで「向田邦子新春スペシャル」として放送されていた一話完結のドラマシリーズのうち、1989年に放送された作品。向田邦子の原作・原案を元にした脚本を久世光彦が演出するシリーズで、昭和初期の家族が描かれる。それぞれが別の物語でありながらも、そのほとんどに加藤治子演じる母親と田中裕子演じる長女、そしてその妹たちという構成の女系家族が登場し、小林薫演じる男がその家族に様々な役割で関わる(長女の恋人役で、長女を誘惑する男役で、等)かたちでドラマが展開する。一貫して描かれるのは、父親を失った(もしくは父親が父親として機能しない)女性だけの家族と、その長女が家庭内の責任と自らの欲望との間で葛藤する姿である。
舞台は昭和12年(1937年)の東京大田区池上。外務省の役人だった夫を早くに亡くした結城里子(加藤治子)は3人の娘を育て上げた。長女・祝子(田中裕子)には次郎(小林薫)という婚約者がいるが、彼女は自分が病弱であることを理由に結婚を3年も延期している。対照的に複数の男性と自由奔放な恋愛を繰り返す次女は祝子にとって常に非難すべき存在で、2人は衝突を繰り返す。三女は自分が亡き父の子ではないとの妄想に取り憑かれている。そんな三姉妹がある日、かつて結城家と家族同然の付き合いをしていた男性・仙造と自分たちの母親・里子の間に隠された関係があった可能性に気づく。そこへ仙造が久しぶりに福島から上京して結城家を訪れる。仙造を迎え入れた里子はどこかうきうきとした様子。仙造は、正月の晴れ着を着た三女の姿を見て涙を流していた。祝子は、母と仙造との秘められた関係を疑い、母に対する嫌悪、次女の「自らの欲望のままに行動する」生き方への軽蔑から、長女として家族を支える責務にさらに固執する。仕事で満州に移住することになり最後のチャンスと結婚を迫ってきた次郎に対して婚約の破棄を申し出てしまう。激昂した次郎に殴られ、全てを失って帰宅した祝子。その後、母・里子は病に倒れ、もう助からないことが分かる。息を引き取る直前、枕元で看病する祝子に向かって里子は仙造との間に何があったのかを明かす。里子は確かに仙造にずっと恋をしていた。夫の死んだ日に仙造のもとへ行こうとまでしたが、最後に思いとどまり、以来ずっと仙造への想いを抱いたまま母としての人生を送ってきた。それこそ自分の人生の最大の後悔だ、と死ぬ間際の里子は祝子に伝える。思いだけを抱いて好きな相手と結ばれないなんて馬鹿みたい、と言って里子は息を引き取る。祝子は眠るように亡くなった里子の布団に真っ赤な裏地の着物をかける。その着物は仙造が正月に結城家を訪れた際、里子が密かに着ていたものだった。祝子は里子に向かって「今までお母さんが教えてくれたものを決して忘れないからね」と話しかけ、「わが母の教えたまいし」ものを挙げていく。七草粥の七草とは何か。料理のコツ。家事にまつわる様々な些事。そんなことよりもっと大切なことを決して忘れない、と祝子は言う。祝子が次郎と結婚して満州へ移住することになったと告げるナレーションが流れてドラマが終わる。
この作品の内部だけを見るならば、「わが母の教えたまいし」は昭和初期という時代が強制するジェンダーロール(特定の性別に期待される役割)と性衝動との間で葛藤する祝子のドラマである。でもこのドラマも「時間ですよ」と同じく久世光彦の演出、向田邦子の原作であることを踏まえれば(「時間ですよ」の場合、向田は複数の脚本家の中の一人であったが)、一連の久世演出ドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」のバリエーションとして位置付けることができるだろう。つまり、「わが母の教えたまいし」も、「ホームドラマ的世界観」と「ホームドラマ的世界観の崩壊を告げるメタ視点」を同時に見せるドラマなのだ。「時間ですよ」が下町の銭湯を舞台とした人情話とそれをパロディにするナンセンスギャグが乖離したまま同時並行するように、「わが母の教えたまいし」は結城家の女性たちが時代に求められる「慎ましき家庭像」と、その家庭像を崩壊させるものとして抑圧され「無いことになっている性衝動」とが乖離したまま同時並行する。祝子が次女を嫌うのも、仙造と関係を持っていたかもしれない母に距離を置くのも、他でもない祝子の中にある性衝動を彼女たちの中に見出しているからである。そしてそれを祝子以外の家族は知っている。知っているけれど、無いことになっている。結城家の女性たちは一方で母・娘・姉・妹として慎ましく振る舞いながらも、その裏に家庭を破壊する性衝動を共有している。でも、その共有は決して語られない。語られることのないもうひとつの物語。2つの物語が交わることなく語られるのである(ちなみにもうお気づきだろうが、「時間ですよ」に挿入される脱衣所のヌードはその意味で「表」のホームドラマ的世界観から隠され、抑圧されて「裏」に押し込まれた性衝動の表出、フロイトのいう「抑圧されたものの回帰(Return of the repressed)」だと読むことができる)。
これら2つの作品が「ホームドラマ的世界観」と「その崩壊を告げるメタ視点」を同時に語るドラマだとして、「だからホームドラマ的世界観なんてダメなんだ」とナイーブに嘆くのではなく、崩壊の一歩先、家庭像を再構築する視点まで示唆していると言えるのは何故か?
「わが母の教えたまいし」には象徴的なシーンがある。次郎に婚約破棄を申し入れ、激昂した次郎に殴られて顔を腫らした祝子が帰宅し、里子と台所で話すシーン。長女としての責任と自らの性衝動の間で引き裂かれ、全てを失い、究極まで追いつめられた祝子は言う。もう自分が誰だか分からない、と。里子はそんな祝子を暖かく見守る。まるで自分と同じことを悟った娘を迎え入れるように。「わが母が教えたまいし」ものとは、「究極には分かることが出来ない自分」という新しい主体に到達することだったのではないか。
一方に慎ましき女性として守るべき家庭があり、もう一方に家庭を崩壊する性衝動がある。家庭の中で慎ましやかに母と妹たちと暮らす物語と、自分の性衝動のままに生きる人生の物語、それらは決して相入れない2つの乖離した物語である。そのどちらに生きることもできず、同時にどちらもが自分の一部である。結局、自分はどちらの登場人物なのか分からない。分からない自分を心から自覚したとき、祝子は里子と同じ場所に立つことができた。祝子は母と本当の意味で家族になったのではないか。家族として生きるということは、2つに乖離した現実を生きる自分を受け入れることなのである。そもそも、社会が望むような「慎ましやかな自分」だけが存在することは不可能であり、慎ましやかな自分を破壊する衝動が自分の中に存在することを祈子は知っていた。祈子だけではなく家族のそれぞれがみな、自分の中にそれを自覚していた。自覚していたけど、お互いそれは知らないことになっていた。お互い知らないことになっていることを、最終的に母と娘が共有する。いや、正確には、「お互いに知らないことになっている」ことを知ることで、里子と祈子という2人の女性が初めて本当の母娘になったのだ。
家族になるとは、言い換えればある種の「偽善」を引き受ける主体を手に入れることである。ホームドラマ的世界観が嘘であると分かりながら、いや嘘であるがゆえに、それを受け入れ立派に演じきる主体。結城家の女性たちは面と向かって自分の性衝動にまつわるジレンマの話をしない。「時間ですよ」の松の湯の住民たちも面と向かってセックスの話をしない。当たり前である。ちゃぶ台を囲んで、いやちゃぶ台に限らずどんな状況でも、面と向かって「自分が持て余している性衝動」を話し合う家族なんてあるだろうか?そもそも家族とは、家族だからこそ共有できる物語と、家族だからこそ共有できないもうひとつの物語とに引き裂かれた者同士が、お互いの引き裂かれた存在を共感してつながり合う関係ではないだろうか。すべてを共有することはできない。その共有できないことを共有する。「演技」をしている事実を共有するのである。「欠陥があるからつながらない」とするのが他人であれば、「欠陥があってもつながる」、いや「欠陥があるからこそつながる」とするのが家族なのだから。「ホームドラマ的世界観」なんていうものはそもそもが最初から偽善であり嘘であり、薄っぺらな飴細工なのだ。その飴細工を飴細工と分かった上で、引き受ける主体。祝子はその主体を手に入れることで、母と本当の意味で家族になれたのである。
突き抜けて笑う者
最後に思考実験をしてみよう。「わが母の教えたまいし」と「時間ですよ」を、戦後民主主義が導入しようとした「ホームドラマ的世界観」が崩壊した後に「家族」を再構築するための2つの重要なステップと考える。
第一のステップとして「わが母の教えたまいし」が提示するのは、ホームドラマ的世界観はそもそもその起源から崩壊し機能不全に陥っていた、という仮説である。崩壊は戦後のアメリカ化・新自由主義など「外からの要因」で起きたのではなく、そもそも祈子たちの時代、戦前の日本においてその伝統的家族像自体が内側から崩壊していた、ということ。「家族」とはそもそも最初からその機能不全を内包して存在し、その機能不全を認めた上であえて参加する者同士のつながりなのである。ある時期まで「ケガレなき家族像」が存在し、その後に「崩壊」がやって来たのではない。家族とは逆説的に、常に家族として向き合えないかもしれないという危機的状況から始まり、その危機を受け入れることで家族になる、という手続きの中で受け継がれてきたのだ。このドラマが示すのはその自覚のプロセスである。
そして第二のステップである「時間ですよ」が示すのは、自分自身が分からないという自分、家族という「嘘」を演じる覚悟を決めた自分、演じることをお互いに認め合った自分、それらを手に入れたときに達成できる笑いである。つまり、祈子のように本当の家族を手にいれた主体にはその後、どのような世界が待っているのか、ということ。このドラマに一貫する突き抜けた笑いの空気は、「2つの乖離した物語を生きなければならない現実」を悲劇としてではなく、「生きる条件そのもの」として捉える者の生きやすさの表現ではないだろうか。確かに堺正章らによるナンセンスギャグは「ユーモア」というより単なる悪ふざけであり、脱衣所のヌードは女性が眉をひそめるような要素でしかない。どちらも古き良きホームドラマ的世界観の成立を邪魔する「ノイズ」である。でも祈子がそうしたように、「ノイズの中でしか生きられない」という臨界点に到達することで、ノイズがあっても生きる、いや、ノイズがあるから生きる、という態度に着地できるのかもしれない。久世光彦のドラマが浮かび上がらせる「家族」は、ノイズが「あっても生きる」から、ノイズが「あるから生きる」への精神の旅という、第三の物語を浮かび上がらせる。彼の作品が日本におけるテレビドラマの黄金期を作り上げたのは、この第三の物語を描いていたから、そしてその物語に普遍性があったから、と言えないだろうか。
さて、「ホームドラマ的世界観」を、そのまま「民主主義」と言い換えたらどうだろう。我々は暗礁に乗り上げた民主主義を「ダメだ」と言い捨てるのではなく、民主主義がそもそも内包する「表」と「裏」の偽善を引き受け、そこに引き裂かれる自分たちの存在を共有することでもう一度つながることができないだろうか。自分が何者か分からない、という矛盾を深く共有することで「わが母が教えたまいし」の悲劇的ムードから、「時間ですよ」のような突き抜けた笑いに至ることができないだろうか。そこで聞こえる「時間ですよ!」の呼び声は、我々に何の到来を告げてくれるのか。