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巨匠フルトヴェングラーの「名盤」の真相 第一回 「バイロイトの第九」の「真相」

巨匠フルトヴェングラー(一八八六年生、一九五四年没)の数ある録音の中でも、最も声望の高いものといえば《バイロイトの第九》であろう。一九五一年七月二九日、バイロイト祝祭が第二次大戦後に再開された折の、記念演奏会の演奏記録である。

フルトヴェングラーは、一九五四年八月九日にも同じくバイロイト祝祭のオープニング・コンサートでベートーヴェンの《第九》を演奏し、録音も残っている(セブンシーズ国内盤【KICC-1053】)が、もともとがプライベート録音で音質が劣悪すぎ、演奏の真価を問うことはできない。

通常、フルトヴェングラーの指揮した《バイロイトの第九》といえば一九五一年録音の演奏を指す。とはいえ、これは実のところ、問題だらけなのだ。

2種の《バイロイトの第九》

《バイロイトの第九》は、演奏年月日が同じで、収録された演奏の異なるものが二種、存在する。一つはイギリスHMV(EMIと同一の会社)が一九五五年に2枚組LP【ALP-12986~7】として初めて発売したもの(これは後述するがCD時代になってからいろいろ手が加えられている)。もう一つは日本フルトヴェングラー・センターが二〇〇七年に会員用にCD頒布【WFHC-013】し、同年暮れに独オルフェオ【C754081】からも一般向けにリリースされたものである。EMI発売盤をE盤、オルフェオ盤(つまり日フルトヴェングラー・センター盤)をO盤とする。

O盤は、バイエルン放送局内で「放送禁止」と書かれた箱に保管されていたテープから復刻されたもので、発見者である日フルトヴェングラー・センターは、「従来のE盤ではなく、このO盤こそが本物の本番ライヴ録音である」と主張している。E盤はいろいろに原テープを編集したもので、O盤は一貫した録音であるから、E盤は本番の一発録音としては信憑性に欠ける、ともセンターは主張するのである。

だが、一聴して分かるようにE盤を貫く只ならぬ緊迫感や高揚は、O盤には見られない。特に、終楽章の結尾のプレスティッシモ(〝最高に速く〟という演奏指示)が、E盤では勢いあまって演奏が怒涛のように完全に崩壊しているが、O盤は最後まで冷静に整った演奏ができており、本番舞台らしい熱気がまるで感じられない。

さらに、E盤の全曲をなんど聴いてもセンターが主張するような、テープ編集の痕跡はどこにも見られない。一九五一年における一発勝負の舞台録音である。まだEMIは磁気テープ録音を導入したばかりだった。テープの編集は、ハサミとセロハンテープで行なっていた。だから、録音時はもちろん、その後のマスター・テープの編集等の加工があれば、録音年代から見ても、どうしても聴き手に分かる跡が残ってしまう筈である。

センターは、具体的にE盤の終楽章における”vor Gott”のフェルマータ(〝長く伸ばす〟という演奏指示)末尾のクレッシェンドは不自然で、誰かがマスター・テープに手を入れた証拠と強調しているが、注意して聴き直しても特に不自然さは感じられない。これは、音楽雑誌等で複数のプロの批評家や録音エンジニアも述べていることである。

O盤も一聴してあからさまなテープ編集跡はないが、E盤に問題がない限りマスター・テープの編集云々は意味がない議論である。

音楽批評家・平林直哉氏によるとこのコンサート当日、公演本番の少し前に全曲の通し稽古があったとソプラノ歌手のシュワルツコップが証言しているとのことで、この通し稽古こそがO盤の正体ではないかと平林氏は述べているが、私もこの意見に賛同する。平林氏は前述の”vor Gott”のフェルマータ末尾のクレッシェンドについても、「EMIが操作したようには感じない」と著書にも書いている(《フルトヴェングラーを追って》青弓社)。

私も、日フルトヴェングラー・センターの、このO盤を発掘して世に問うた功績は大いに認めるものだ。しかし、完全に裏を取り、E盤がどういった録音であったかを資料等によってはっきりさせない(確実な証拠もないのに、センターは「E盤はリハーサル録音と本番録音の混合」と決めつけている)まま公にしたために、このような混乱が起きていることを、センターには直視して欲しいと思う。

私の考えでは、《バイロイトの第九》はE盤で聴くべきだ。あるいは、E盤があればそれで良い。E盤とO盤とでは、聴いていて受ける感銘の度合いにかなりの差があるからだ。

足音入り

一九九〇年に東芝EMIからリリースされた《バイロイトの第九》のCD【TOCE-6510】は、指揮者の「足音入り」ということで話題になった。帯にもその旨が書かれている。舞台にフルトヴェングラーが登場して指揮台に乗り、聴衆に挨拶をするまでの足音が録音に含まれていたからである。それだけでなく、演奏開始直前にオーケストラに向かってフルトヴェングラーが何ごとか話しかける音声が八秒ほど入り、開演前、終演後の熱烈な拍手も、ややたどたどしいが録音技師が始まりを揃えようとしている感があった。

従来のディスクでは、フルトヴェングラーの足音も話し声もいっさい含まれてはいなかった。また、開演前の拍手はなく、終演後の拍手はあまり綺麗に録られておらず、フェイド・アウトもいま一つ手際が良くなかった。しかし一九九〇年以降、この《バイロイトの第九》のEMI系録音盤には、必ず足音、声、整った拍手が収録されている。ただし、テープの継ぎ目が明らかで、後付けの効果音であることははっきりしていた。

この効果音は、東芝EMI盤よりEMIミュージック・ジャパン盤SACD【TOGE-11005】のほうがさらに手際が良い。テープ編集の痕跡は殆んど分からない。私は、最近のデジタル技術を駆使したものだと思う。演奏直後の熱狂的な拍手が、ひとしきり鳴り渡った後でフェイド・アウトするのも綺麗に整えられている。

先ごろ亡くなった音楽批評家・宇野功芳氏はこの音声についてオーケストラに「虚無の中から聞こえて来るように」と注意した、と《フルトヴェングラーの全名演名盤》(一九九八年、講談社)で書いているが、本当かどうかはかなり疑わしい。この本の前身である著書《フルトヴェングラーの名盤》(一九七七年、芸術現代社)でも、すでに宇野氏は同じように書いていた。この時点で、指揮者の声入りのレコードはまだ出ていない。

宇野氏は個性的な辛口批評で知られ、カリスマ的批評家として大いに活躍した。特に、日本で無名だった数多くの名演奏家たち(指揮者ハンス・クナッパーツブッシュ、ピアノ奏者リリー・クラウス、ヴァイオリン奏者チョン・キョンファ等々)を意欲的に紹介し、人気を博すまでに導いた功績は極めて大きい。

だが、彼は日本ではまだあまり知られていないことなどについて、手前勝手な作り話をよく書く人物でもあり、私はこの「虚無」云々の「注意」も、恐らく氏の想像だろうと思っている。

初版HMVのLPレコード【ALP1286-7】を聞いても開演前の拍手はいっさい収録されておらず、演奏直前の声もなく、終演後の拍手はたちまちブツリと消されてしまう。だから、揃った拍手や指揮者の声は、私はEMIがCD時代に入ってから臨場感を演出させるために施したものであろうと思う。

日フルトヴェングラー・センターが生前のフルトヴェングラー夫人(一九一一年生、二〇一三年没)にこのCDを聴かせたところ、夫人も足音や話し声に関して「おかしい」と訝しげであったという。夫人は一九四三年にフルトヴェングラーと結婚して以来、ほぼ常にフルトヴェングラーの舞台や録音には立ち合っていた。もちろん、この時も賓客として客席にいたのである。

そもそも、これから《第九》のような大作を演奏しようという、ホール内の誰もが緊張している本番直前に、指揮者がこと改めて演奏者たちに口頭で注意をしたりすることは、まず考えられない。私の聴いた数多くの《第九》の実演でも、このようなことは決してあり得ないことだった。

録音と発売の経緯

この《バイロイトの第九》のプロデューサーはウォルター・レッグという人物(一九〇六年生、一九七九年没)である。

レッグはEMIの重役で、二〇世紀を代表する多くのアーティストをEMIの専属とし、自らプロデューサーを務めて彼らのスタジオ録音を厳しく監修し、主にオペラとオーケストラ曲において、いくつもの歴史的名盤〈R.シュトラウスの楽劇《ばらの騎士》(指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン、録音:一九五六年)や名ソプラノ歌手マリア・カラス(一九二三年生、一九七七年没)の数多くの傑作オペラ録音、大指揮者オットー・クレンペラー(一八八五年生、一九七三年没)によるオーケストラ曲の名演盤等々〉を制作したことで知られる。だが、《バイロイトの第九》のプロデューサーとなったのはまったく偶然のことだった。

一九五〇年、若きカラヤン(一九〇八年生、一九八九年没)に肩入れするレッグはフルトヴェングラーと決定的なトラブルを起こした。もともとフルトヴェングラーとカラヤンの仲は険悪だった。この事件は長い説明を避けるが、要はレッグがプロデューサーを務める歌劇《魔笛》のカラヤンによるスタジオ録音を、オーケストラも歌手たちもほぼ同じフルトヴェングラーの同曲上演の直後に設定し、実質的にフルトヴェングラーをカラヤンの練習指揮者に仕立ててしまったのである。

このことを知って怒り心頭に達したフルトヴェングラーは、同年で切れるEMIとの録音契約更新に当たり、「一九五一年以降の録音では二度とレッグをプロデューサーとしないこと」を条件に挙げたほどである。

バイエルン州のバイロイトは大作曲家リヒャルト・ワーグナーのオペラの聖地であり、ワーグナー家の当主だったヴィニフレート・ワーグナー〈ワーグナーの一人息子ジークフリート・ワーグナー(一八六九年生、一九三〇年没)の妻、一八九七年生、一九八〇年没〉が熱烈なナチ信者だったために、一九五一年まで本来のオペラ・ハウスとしての機能を果たすことが禁止されていたのである。因みにヴィニフレートは死ぬまでナチズムとヒトラーの崇拝者だった。

一九五一年から、ヴィニフレートが引退してバイロイト祝祭の開催にはいっさい関わらず、全権を彼女の長男ヴィーラント(一九一七年生、一九六六年没)、次男ヴォルフガング(一九一九年生、二〇一〇年没)に譲渡すること、ナチズムを完全撤廃することを条件として、連合国軍はこの祝祭再開を許可した。ここに、バイロイト祝祭は6年ぶりに復活したのである。

この祝祭(音楽祭)は一風かわっており、ワーグナーの創造したオペラしか上演しない。そもそも、ワーグナーのオペラを理想的に上演できるように、ワーグナー自身が開催を決め、劇場までを建設したのである。だから演目は限られるが、演出等において新しい試みを積極的に導入することによって、新鮮な舞台を創り上げているのである。運営はワーグナーの血族によって行なわれている。

一八七六年にこのバイロイト祝祭劇場が完成した時、その記念としてワーグナーは自ら指揮棒を執り、劇場でベートーヴェンの《第九》を演奏した。ワーグナーは大作曲家であったばかりでなく名指揮者でもあった。

そこで、第二次大戦後の祝祭復活記念にも、その故事に倣って《第九》のコンサートを催すことを祝祭関係者たちは企画した。そのタクトを任される名誉ある役割は、祝祭関係者たちはワーグナー・オペラの指揮者としても世界的に知られている当代第一の指揮者、フルトヴェングラーに果たしてもらいたかったのである。

祝祭主催者中の最高責任者はヴィーラント・ワーグナーだった。彼はフルトヴェングラーを直接たずねて演奏を打診したが、同時期に催されるザルツブルク音楽祭との兼ね合いを考えて、フルトヴェングラーは即答を避けた。フルトヴェングラーは、ザルツブルク音楽祭における指導者の一人というべき立場にあったからである。この年も、すでにモーツァルトの《魔笛》と、ヴェルディの《オテロ》を数回にわたり上演することがすでに決まっていた。二作とも、なかなか大掛かりなオペラである。

一方ヴィーラント・ワーグナーは、復活なったバイロイト祝祭で、できればワーグナーのオペラを一作なりとフルトヴェングラーに上演して欲しい意思もあった。すでに上演する作品の指揮者の用意はできていた〈ハンス・クナッパーツブッシュ(一八八八年生、一九六五年没)とカラヤン〉が、フルトヴェングラーが来てくれるとなれば、指揮者の急遽交替も辞さない構えだったのだ。当時の欧州楽壇で、いかにフルトヴェングラーが尊敬されていたかがよく分かる。

だがヴィーラントは、予想以上に多忙だったフルトヴェングラーの都合を考え、開幕記念演奏会の《第九》演奏のみに交渉を絞り、遂に説得に成功した。「あなたに、大戦後の再開なったバイロイト祝祭の最初の音を出して欲しいのです」というヴィーラントの言葉が、迷っていたフルトヴェングラーの心を動かしたという。

この話を耳にしたレッグは、早速「バイロイトで演奏する《第九》をライヴ録音してはどうか」とフルトヴェングラーに申し出たが、フルトヴェングラーは「音響効果が良くない」という理由で断わっている。レッグは同年バイロイト祝祭に招かれてオペラの指揮をする、カラヤンの上演をライヴ録音してレコード化するつもりだった。

一九五一年七月二九日、バイロイト祝祭は第二次大戦後ようやく再開され、オペラ上演に先立つ記念コンサートでフルトヴェングラーは《第九》を指揮した。EMIのレッグは、「記録用」といった軽い気持ちでこれをライヴ録音した。本命のカラヤンのオペラ録音の方がレッグにすれば重要だったが、ことのついでだった。

先に書いたように、演奏前と終演後の拍手がきちんと収録されていないのも、この録音がレッグにとっては大して重要な仕事ではなかったからだろう。それでも録音責任者である彼は「プロデューサー」には違いなかった。

終演後、楽屋に自分を訪れたレッグに対して、フルトヴェングラーは「《第九》の演奏はだめだったかなあ?」と問いかけ、「むかし聴いた《第九》のほうがずっと良かったですよ」と返答された。終演後、夢うつつのような状態だったフルトヴェングラーは完全に無防備だったので、レッグのこの言葉に心底ショックを受けてひどく落ち込んだ、と居合わせたフルトヴェングラー夫人はインタビューに応えて話している。この言葉がレッグの本音だったか、それとも自分を拒否したフルトヴェングラーに対するちょっとした嫌がらせだったかは分からない。

EMIは一九五〇年からフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集の企画を立てていたが、一九五四年末にフルトヴェングラーは六八歳で急逝してしまう。EMIは交響曲の「第二」、「第八」、「第九」の録音を済ませていなかった。

関係者の誰も、フルトヴェングラーがそんなに早死にするとは思っていなかったのである。しかし、「交響曲全集」を完成させるためにEMIは躍起になった。

そして、まず一九七二年、「交響曲第八番」の録音をEMIはリリースした。一九四八年にフルトヴェングラーがストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を客演指揮したテープがスウェーデン放送局で見つかって、レコード化されたのである。

次に一九七九年になって、一九四八年にロンドンに、フルトヴェングラーがウィーン・フィルを率いて楽旅した際の「交響曲第二番」の録音がようやくロンドンの放送局のテープからレコード化された。これは、フルトヴェングラーの指揮によるこの交響曲の唯一の録音である。EMIは、録音テープの存在確認から発売まで、放送局との交渉に数年かかった。

ただし、両曲とも録音状態は極めて劣悪であり、鑑賞用というより熱烈なフルトヴェングラーのマニア向けである。「第二交響曲」にしても、オーケストラはウィーン・フィルだが、その美質はまったく聴き取ることができない。指揮者の表現も聴き取れず、異常に情報量が少ないディスクである。

結局フルトヴェングラーの指揮による『ベートーヴェン交響曲全集』のレコード・セットがEMIから発売されたのは、フルトヴェングラーの没後二五年となる一九七九年のことだった。

肝心の《第九》は、フルトヴェングラーが亡くなった時点で、EMIが使用できるマスターとしては、差し当たり二点の録音テープが存在した。レッグが録音したバイロイトでの演奏と、死の年にルツェルン音楽祭でフィルハーモニア管弦楽団他を指揮した、スイス放送局が保存していた演奏録音である。フィルハーモニア管弦楽団のオーナーはレッグだったので、EMIでのレコード化が検討された。

ともにライヴ録音であり、音質の点ではルツェルン音楽祭の録音の方が新しい分やや良かったが、ソプラノのシュワルツコップ(一九一五年生、二〇〇六年没)がレコード化に賛同しなかったため、EMIはルツェルン音楽祭の記録ではなく、バイロイト祝祭の録音を使用することに決めた。シュワルツコップは前者における自分の歌唱がベストではないと考えたらしい。因みに、シュワルツコップはレッグの妻だが、フルトヴェングラーのことを終生尊敬してやまなかった。フルトヴェングラーも、シュワルツコップの優れた才能を認め、最後まで彼女を繁々と起用した。

バイロイト祝祭の演奏でもソプラノはシュワルツコップで、こちらのレコード化には彼女は異議を唱えなかった。

この《バイロイトの第九》の録音は、非公式のもので「ハイファイ」ではない、という理由からこれまで発売されなかった、とアメリカEMI初出盤LP(一九五六年発売)の解説には記述があり、要するに《バイロイトの第九》はあくまでテスト用の録音で、音質の問題で発売用のマスター・テープとは区別して保管されていたものであろう。そのままであれば、遠からず廃棄されていたかも知れない。

ついでながらこの時お蔵入りしたルツェルン音楽祭の《第九》は、一九八〇年になって国内盤二枚組LPで、レコード会社二社からほぼ同時にリリースされた。日本コロムビア盤(アメリカ・ワルター協会原盤、OB7370~71)と、キングレコード盤(イタリア・チェトラ原盤、K19C21~2)で、前者は《第九》のみ二枚四面に《第九》のみをカッティングし、価格は二八〇〇円でリリース。後者は第四面に同じ指揮者によるベートーヴェンの「交響曲第八番」の一九五四年のライヴ録音(演奏はウィーン・フィル)が組み合わされて、三八〇〇円でリリースされていた。音質はだいたい互角とされ、フルトヴェングラーのファンはどちらを選択するか悩んだ。

この演奏は、特にフルトヴェングラーのファンに《ルツェルンの第九》と称され、巨匠最晩年の演奏記録として愛聴された。いまでは放送局のオリジナル・テープから制作した正規版SACD【KICC-17】までが出ている(セブンシーズ)。

この《ルツェルンの第九》は、指揮者の没年ということもあってか、バイロイト盤に比べて劇的効果はそれほどでないが、枯淡の境地というか枯れたなりの味わいがあって、バイロイト盤よりこちらを好む音楽ファンも少数派ながらいる。

だが、フルトヴェングラーの指揮する《第九》を聴くならやはりバイロイト盤が最上だろう。楽器のバランスも、ルツェルン盤はトランペットがオン・マイク過ぎて、ときどき耳障りになる。バイロイト盤はティンパニがやや遠いが、他はなんら問題ないし、SACD化によって音質の鮮度もずいぶん上がった。

一九五四年当時、レッグはカラヤンにとって初めての「ベートーヴェン交響曲全集」を鋭意制作中(レーベルはもちろんEMI、オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団)で、自分が特別に力を入れて録音したわけではないフルトヴェングラーのバイロイトにおける《第九》をリリースしたところで、それがセンセーショナルな成功を収め、歴史的名盤として持て囃されるとは思ってもいなかったであろう。《バイロイトの第九》の録音とは、まさに偶然の産物だったのだ。

SACD

東芝EMIは、二〇〇七年にEMIミュージック・ジャパンと名を変え、つかのま日本のEMI盤を統括した(二〇一二年、ユニバーサル・ミュージック合同会社に吸収され、遂にEMIは消滅する)。フルトヴェングラーに関しては驚いたことに、主要なディスクをすべてハイブリッドSACDで発売するということで、フルトヴェングラー・ファンを驚喜させた。値段もSACDにしては比較的安めに設定されていた。普及版としてのSACDハイブリッド盤だけでなく、割高ながらSACDシングルレイヤー盤も発売した。

SACDとは、フィリップス社(現在は音楽ソフト制作を廃止)とソニーが共同開発した最先端技術によるCDのことである。”Super Audio CD”の略で、従来のCDよりも多くの情報を記録できる。ハイブリッドSACDは音溝が二層に別れており、普通のCDプレイヤーでも再生できるが、シングルレイヤーSACDは音溝が一層なので、SACD再生可能機でなければ再生できない。現時点ではハイブリッドよりシングルレイヤーの方が割高である。

EMIミュージック・ジャパンのSACDは、従来の音源をそのまま引き継ぐのではなく、英EMI本社のオリジナル・マスター・テープやSPの金属原盤を使用して、復刻を一からやり直すということだった。その結果、一九五一年録音のケルビーニ作《アナクレオン》序曲、チャイコフスキー作「交響曲第四番」、《弦楽セレナーデ》抜粋などは、以前と比べて非常に優れた音質になった。

《バイロイトの第九》は、東芝EMIの頃から音質の劣化が取り沙汰されていた。CD時代になってそれが特に問題となっていたが、その中では先に触れたように一九九〇年に東芝EMIからリリースされた【TOCE-6510】が最良の音質と言われた。やがて、二〇〇五年に平林直哉氏の制作による、グランドスラム・レーベルの【GS-2009】が出て、優れた音質という点では非常に高い評価を得た。このグランドスラム盤は最初期の状態優秀なLP盤からのCD復刻である。

だが、二〇一一年にEMIミュージック・ジャパンのハイブリッドSACDが出て音質を一新し、一気に決定盤の座を我がものにした。現在は、一部がワーナー・クラシックスから継続してリリースされている。EMI本社のオリジナル・マスター・テープからマスタリングしたSACDで、「これ以上はあり得ない」音質を誇った。

この盤は、聴衆ノイズを極力ていねいに除いているのも特徴である。もともとの音楽の感興を損なわない程度でのノイズ取りはした、とCDのライナーノーツにも書かれている。

私はシングルレイヤーの三枚組SACD【TOGE-15201~03】を持っているが、これに含まれる《バイロイトの第九》は、音質の向上もさることながら、よくもここまで、と思うほど咳払い等の聴衆ノイズが綺麗に除去されている。以前から歴史的録音の過度なノイズ除去には好感が持てなかった私だが、このフルトヴェングラーSACDシリーズを聴いていらい認識が変わった。

現在の大手メーカーの技術は極めて高度で、少し前までの、ノイズとともに演奏の良さまで削り取ってしまうような不手際はあまりない、と言っていい。響きの豊かさ、自然な残響なども元とまったく変わらない。同じく聴くならば、音楽に集中できるディスクの方が受ける感銘は圧倒的に深い。空気感がどうこう、という聴き手もいるが、それは個人的嗜好であって万人の求めるものかどうかは判らない。臨場感とか空気感とかをあれこれ言う人もいるが、それなら一切の雑音やミスを排したスタジオ録音をどう思っているのか、聞いてみたいところである。

ライヴ録音の演奏ミスを正す、ということにも賛否両論あるが、私はどちらか一極には左袒し得ない。この《バイロイトの第九》でも、一つ大きなミスの修正がある。オリジナル録音の第三楽章、東芝EMI盤【TOCE-6510】の[9:55]にはホルン・ソロに重大なミスがあり、これは本当にだらしない。天上の憩いを思わせるくだりで、ホルンは特に重要なのに、失敗しているのだ。ところが、EMIミュージック・ジャパン盤の同じ箇所[9:59]では綺麗に修正されている。ミスがなくなっているのである。

これは、非常に大胆な試みと言っていい。大指揮者フルトヴェングラーの録音の中でも、歴史的遺産の最右翼に属する演奏を一部とはいえ改変してしまったのである。

初めて聴いたときは、ハッとするほど驚いたが、あるていど聴き慣れてみると、絶対に修正されていた方が聴いていて心地良い。あのミスのために、ずっと味わわされていた興醒めから解放されるのである。

これは好き好きだろうが、頑なにライヴ録音はまったくそのままで聴くべきだ、ノイズ除去や修正は間違っている、といった主張は今の私は必ずしも賛同しかねる。とりわけ、重要な箇所での演奏ミスや客席での大きな咳払いなどは、興を殺ぐこと夥しいものがある。下手に手を加えた跡が残るような修正は耳障りだが、そうでないならある程度までは容認しても良いと私は思っている。

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